“だれもが知識人であるということは、だれもが「戦略家」のようにふるまうということだ。これは、ミシェル・フーコーの定義した知識人とは対極に位置している。かれは、みずからの知識人としてのモラルを「反戦略的」と形容した。「私の道徳は「反戦略的」だ。つまり、一個の特異性が蜂起する時にはこれを尊重し、権力が普遍的なものに背くなら強硬な姿勢をとる、ということだ」。”
(高桑和巳訳「蜂起は無駄なのか」『ミシェル・フーコー思考集成Ⅷ 1979―1981 政治/友愛』筑摩書房、二〇〇一年、九九―一〇〇頁)
『賢人と奴隷とバカ』
01.現代日本の「反・反知性主義」?https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1107&ct=8
“そうした声に耳を傾け、その言わんとするところをわかろうとするということに意味があるには、そうした声が存在し、これを黙らせようと執念を燃やすあらゆるものがあるというだけで充分だ。”