タイトルを失念したが、しばらく前に英語話者による小説の書き方の本を、「邦訳で」読んだ。
これが日本人にとってはかなり訳の分からぬ内容になっている。
内容よりもそのことの方が印象的だった。
英語のリズムや音が、文章表現においていかに重要であるかを、名著を引用して述べている。小説を書いたらそれを音読して点検しろと勧めている。
なのに本著で書かれているのが日本語で原文が無いため、どこが美しいのか、或いはどこが心に響くのか一切伝わらないのである。邦訳だから仕方がないとは言え原文を併記した方がいいと思った。
この本から学んだことは一つ:
英語のように、視覚情報よりも「音」が重要であるような言語の邦訳本を読む場合、(その意味において)原著と全く異なる読書体験になっている可能性が高いということだ。
あとは…新聞記者は同じ表現の連続を嫌うという記載があり、これは国が違っても変わらないのだなと笑った。
洋書フロアの日本文学陳列棚の前で吟味している最中、外国人観光客に話しかけられた。20代とみられ、ドイツから来たという。
日本に来たので何か日本文学を読みたい。フィクションでおすすめはあるかとのことだった。
現代文学なのか古典なのか聞くとあまり古いと難しいかもという返答だった。次に好みはplot-drivenなのか、散文的なのか質問したところ、どっちも好きだがどちらかと言えばplot-drivenがいいという。外国人に人気のある作家がいいのか、こだわらないかではこだわらないと。
というわけで現代文学初期作品として、漱石の『こころ』、芥川龍之介と樋口一葉の作品集を勧めておいた。
彼は明治時代については若干知識があるようだったが漱石も芥川も一葉も初めて聞いたそうだ。一人は現在五千円札だと言ったら財布を取り出し確認して驚いていた。
その後ちょっと会話した。男性作家二人は西洋の影響を強く受けている。漱石は旧千円札/英国留学し評論も有名/陳列棚にはないが『吾が輩は猫である』は人間、社会や日本の西洋化に対する高踏派としての目が反映されている-こと、芥川はプロットや文体を細部まで練る性分/夭逝(一葉も)/英文学翻訳にも携わったこと
-などを話した。
結局こころ、芥川短編集とHearnの日本紀行文を買っていった。
丸善に行ったがI Am A Catはなかった。紀伊國屋書店には漫画はあるのに原作がなかった。
日本文学は日本語が最高なので、今回の検証にあまり時間をかけすぎるのもなと思う。
というわけで、ほぼ暗記している『夢十夜』にした。サイデンステッカー訳『源氏物語』を買いそうになったが、これは追々。彼の翻訳を読むなら『雪国』が先だろう。
目的のものだけにしておけばいいのに、本屋に行くと我慢できない。さらに積ん読を増やしてしまった。