ネトウヨの人たちは自民党を支援すればするほど自分たちの生活が苦しくなっていくだろうに、なぜ応援をやめられないのだ、自分の首を絞めるだけじゃないかとTwitterで言っている人がいて、自分もずっとそう思っていましたが、あれはそうやって隷属・従属するほどに「自分を肯定してもらえる」という確信的な期待があるからそうやってるんだとつい最近思いついて、なんかそこの疑問はなくなった。
ずっと虐待的な環境で育ってきた人の発想なんですよね。つまり日本全体が今の若い人たちを子どもの頃からずっと虐待的な環境に放置してきたんだと思う。家でも学校でも、社会もメディアも。
彼らが問題を起こさず、大人しく機嫌良く言うことさえ聞いていれば、それ以上に彼らのことを思う必要を、大人たちが感じてこなかった。
@zpitschi たしかに、そうかもしれませんね。なるほどと思いました。
自分自身のことを振り返っても、そこまで切迫したものではないですが、とくに若いときは(20代など)保守的で、なるべくノーリスク、低リスクなまま上手いことやれればいいと思っていました。
なのでそういう心境自体は共感できる部分も多いのですが、やはりそういった負のループはなんとかして断ち切りたい、せめて弱めたいという思いが強いです。
ネトウヨにかぎらず、現状維持・現状補完(強化)的なものなら何でもよくて、だからLGBTQ+でも選択的夫婦別姓でもColaboの活動でも、従来の家父長制的あり方を壊す系の、個の尊重や人権を求めるようなものはぜんぶ駄目という。既得権者が安泰になってくれないと、その人たちの下に入って頭を撫でてもらうこともできなくなるわけで。個の力を発揮して実力社会で勝ち上がって肯定してもらうなんて大変すぎて、そんな社会が到来したら困るという。
若い人たちがひろゆきや成田みたいのに傾倒して、高齢者や弱者の差別に向かってしまうのも似たようなもので、早いうちに権益を確保して安心したい、という心境があるんでしょと思う。いやその気持ちはわかるけど・・わかるけど、そこでもうちょっと頑張ってほしいなあ・・という。それもまた、周りにモデルになるような大人が少ないということなのかもしれないけど。