音楽に興味が無いのにDTMを始めたのはニコニコメドレーが作りたかったからで、流れていた曲が気づいたら別の曲になっている、という体験を作りたいというモチベーションだけで打ち込みを始めた。
2012年からはインターネットからMIDIを探してコードをパクるという技を覚え、トラックの使い方もニコニコメドレー作者のMIDIを見て学んだ部分が大きい。(私が自分の曲のMIDIを公開してるのはこの原体験が大きい。深い感謝……)
https://nico.ms/sm21115775
コード進行をコード進行という抽象概念としてちゃんと理解するのはここからさらに数年(3年以上)かかるのだけれど、それ以前から「同じ雰囲気をまとった曲」「同時に鳴らすとうまく重なる曲」という形でいろんな曲がグルーピングされていた。そのグルーピングの実践が↓とかだけれど、この2年後くらいにこのグループが数字で分類できることを知って感動した記憶がある。(この曲って全部456だったのかよ!という)
https://nico.ms/sm26779548?ref=other_cap_off
曲がシームレスに変化することの手品っぽさにはずっと惹かれていて、その手品っぽさの実践は最近の出演と地続きになっている(私の出演はDJとかライブというより演劇に近いと思っていて、1本のMP4の中に自分が立って何かを操作していると思い込ませることで体験を作る仕事をしている感がある。その意味で今のほうが手品っぽい。mp4を流していることは公言している)。
https://www.youtube.com/watch?si=lUzD5ox2gcybzLHo&v=afNb1npqM3E&feature=youtu.be
@kikuo マジですか!?Reasonもそういう感じなんですね……今覚えば案外それくらいの縛りのほうがやることが明確でよかったなと振り返ると思えたりもします。(そういえば、音楽理論オタクは音がしょぼい人が多い、みたいなツイートを昔見たことがあるんですが今思えばサウンドを縛っているからこそコードとかが先鋭化していくという機序なのかもとも思ったり)