これからしばらくシナリオ作業の方にかかりきりになってしまい、自創作の方について話せなくなってしまう ので毎日関連ツイートをしていこうと思う とか言いながら寝落ちました

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そんな訳で今回は神様周りの話をします

三界夢幻奇譚の中では久慈(人外)の一種で、仏様などもここに含まれます。他の久慈より長生きで、強い力を持っています。もともとは人間と死者の面倒を見ていましたが、久慈が現世にいられなくなった為に組織化が進みました(それまでは神の間だけだったのですが、その部下にまで及ぶようになりました)。

神には2パターンあります。先天性か、後天性か。先天性とは神として生まれた者で、後天性とは後々神格を獲得した者です。人間だったけど祀られるようになった、みたいなパターンは後天性です。また神格もランクがあり、高ければ高いほど力も強く長生きします。神の御使い、化身なども神格を持っています。

神の御使いとは神様のお手伝いをする者です。神様の力が強ければ強いほど御使いも多く、拠点である神社の規模も大きくなります。
化身は神仏の別側面のようなもの。先天性がほとんどですが、たまに後天的に神格を獲得させ化身にすることもあります。

今回は白光さんの話ダイジェストです

白光さんは稲荷様に仕える、神の御使いです。ので先天的に神格があります。かつて館林城のなかに神社が移ったのですが、今は城はなくなり神社かがのこるのみとなっています。
神の御使いはそれぞれ担当するご利益があり、白光は五穀豊穣です。作物をちょっぴりより良くしてくれます。他にも家内安全や商売繁盛を担当する兄弟がいます(彼らは築城後に生まれました)。
彼らの役割は参拝客の願いを叶えること。……ですが、、、ねがいをどこまで叶えるか、そもそも叶えるかどうかも彼ら次第なのです。

今回はたまーに登場する『常光府』についてです

常光府とは常世(あの世)において亡くなった人を管理/サポートする組織です。管理するとはいっても誰が常世にいる/いないを把握する程度です。なるべく常世で居心地良く過ごしてもらうのサポートしてくれます。
幹部は神々ですが、実務を行うのは御使いたちだったりします。現世では神社やお寺が実務の仕事を担っています。

今回は三界夢幻奇譚のコンセプトについてです

一番根底にあるのは『久慈が怖くない』ことです。元々ビビりなかほのさんが漠然と怖くなってしまったとき、味方になってくれる人外がいれば怖くなくなるかもしれない、という発想からはじまりました。そこからエピソードに一目惚れして作ったキャラである小雀はずっと主様たちと一緒ですし、白光は人間をずっと助けてきた味方です。怖いとき、何かあったときに彼らを呼べば助けてくれるのではないか、という希望が持てるようになった気がします。未だにビビリは治りません。

常世について

常世とはあの世、死後の世界です。現代は他の久慈もいる世界となっています。基本的には誰もが幸せに過ごせるところですが、浄土のように合わない人もいます。
常光府が運営しています。独自の技術が発達しています。
コンセプトはそのまま『誰もが幸せに過ごせる理想郷』です。風景としては今の街と似ているかもしれません。ただし私が資本主義から逃れられない上常光府という存在を作ったことで『働くこと』と繋がってしまい、現実味のある理想郷が作れなくなってしまいました。曖昧なままですが、しばらく掘り下げないかと思います。

捕捉:世界観

「悲劇の誕生」にかなり影響されています。
悲劇の誕生では、「ギリシア人は生存の恐怖と驚愕の数々を知り、また感じていた。彼らは、おおよそ生きてゆくことができるためには、こうした恐ろしいものの前に、オリュンポス神族というかがやかしい夢の所産をすえなければいけなかったのである。」とあります(岩波文庫より引用)。

生きていくうえで太刀打ちできない恐怖と驚きを「神のせい」にしていた、というわけです。

つまり人間が受け入れがたい現実を受け入れるためのワンクッションが久慈なのです。

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