私はもともと「表現する」ということをしたい人間なんですが(昔してた個人のサイト、ブログ、旧ツイッターはその一環)
いろいろネットを取り巻く世間の環境が変わったり、私自身の状況も変わったりで表現するって機会を失っているのですね。
とくに仕事がフルタイムになった先月、ちょっと私には荷が重いと思う部署へに研修に行かせてもらってる今月、頭の上の蝿を追うことで精一杯で、なにか自分の心に浮かぶものを書き留めて表現するようなことにまで、自分のリソースが残ってない。
本屋でぱらっと読んだ本にも、買って帰った本にも「大変だったことや、嫌なことがあった日こそ詠みなさい」と書いてあったので、あぁそうだな、と。
詠むことで昇華できるよなーと。
今来てる人は、他の人も先方から問い合わせがきてき始めた人なんだけど。
今現在は看板出したり、ネットのページも更新してない。
…もう新規の生徒は来なくていい。
今いる人はそのうちやめるであろうと踏んでる(というか、そちらに持っていきたい)ので、それ以降はもう問い合わせがあっても、受け付けないつもり。
純粋に書道がどうこうより、話通じない、不躾な保護者と不躾な他人の子供を相手にすることに真底疲れた。(笑)
自分の子がそうならないように、私は私の子供をしっかり躾けなければと思うわ…
あと、ビジネス的に習字教室ってレバレッジ効かなくて、実働時間と入ってくるモノかわ割に合わない。すごい先生になれば話は別だけど。
私自身は書道を続けるけど、指導業からは足洗いたいなぁ。
稽古があるのがわかる日に予定を被せまくって、振替てもらって当たり前って感じの保護者が非常に多くて困る。
こちらも暮らしがあって、予定があるものでねぇ…いちいち個別に振替の予定いれるのめんどくさいのよね。自分の生活の教室の予定がないところに、稽古の時間入れ込むの結構面倒なのよ。自宅の教室でも、出先の教室でも。
病欠とかどうしても理由で休む場合は、月謝分は振替をするつもりでいて、これまでやってきたけど、それを曲解されてるようで。
休んだ分は月謝返金してって人もいたり。
私の中の常識では、お稽古事優先で遊びに行け予定は稽古の予定から外すし、月に何度も先生に振替を要求するようなことは心苦しくてできないから、振替はそんなに利用しないだろうと思ってたんだけど…
私の常識は、最近のお若めの保護者さんには全く通用しないようで。
休んだ振替を設定してくれるお稽古事って稀で、だいたい生徒側の都合で休んだらどんな理由でも振替はないことが多いと思うんだけどね。
認識の違いかね…
とりあえず、もう来月からは対応での振替はしない学校の行事の都合以外は、振替対応しないことでお手紙を作成している。
つか、そういう保護者の子はやめたらいいと、切に思っている。
また、もう教室辞めたい。(そのくらい嫌・笑)
字を書くことが変態的に好きな40代半ば。時間が許すなら何時間でも書いてられます。かな書道が専門ですが、他の分野(特にペン字)も鍛錬中です。普段は医療機関で直接医療に関わらないサポート的なお仕事、またある時は書道の先生。小学生2人のおかん。