先日の政府による書店支援云々も、そこで提案され実施される施策は結局のところ富裕層向けのものにしかならないだろう。併設されたカフェで飲食をするのも著者のトークイベントに参加するのも、そもそも「本を買う」という行為が先になければ楽しめない行為だ。本を買う余裕すら失った/奪われた者らはコーヒーもイベントも手が届かない。このような想像/予測が立てられれば、あんなものは愚策でしかないことはすぐにわかる。そしてこの解を導き出すのに、たいそうな論理力は必要ない。書店現場にいれば毎日「体感」していることだから。仮に自分では理論立てができずとも、こうして他者から説明されれば簡単に納得できる。しかしそれができない。見ている/見ることができる景色が違うからなのだろう。あるいは、現実から目を背けたいからか。
Twitterを筆頭としたWEB空間で「書店が厳しいのは政治のせいだ、社会状況が悪いからだ」ということを言えば、すぐさま自己責任論者がやってきて「他人のせいにするなよ」と言われてしまう。そのような様子を見れば、思いやりと道徳心でなんとか生き抜いている心優しき書店員たちは、自己責任論者の言説のほうに納得してしまう。どれだけこちらが理論を説いたところで、かれらは自己責任論者の振りまく恐怖に怯えてしまう。それは仕方のないことで、それを弱さと断じて切り捨てることはすべきではない。
この苦境を自分以外のせいにしたら批判の矢が飛んでくる。そう思ってしまったら、自分が我慢していま以上の努力をすればいい、という方向になってしまうのは仕方がないだろう。そして自分以外のまわりにいる者らも、そのように我慢して努力を重ねているように見えているのだから、なおさら「自分だけ楽をする」わけにはいかないと考えてしまう。こうしてかれらは小さな世界に押し込められる。抑圧の強さは増す一方だ。そして、私のようにその抑圧に抗う者を見ると、嫌悪の感情すら抱くようになる。