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本屋が生き残るためには富裕層向けの商売にならざるを得ない状況が日に日に強まっていて最悪。

生活必需品が値上がりを続けるのだから本を買うお金が減るのは当然で、そんな状況のなか売上を減らさずにいられる本屋は富裕層をターゲットにしているところくらいしか、論理的にはありえない。そしてこんな社会状況のなかで富を蓄え続けられる層というのは、当然なんらかの搾取を伴うものを稼ぎの手段としている可能性も高い。そのようなありかたを積極的に許容する者らがよろこんでやってくる本屋になどなりたくない。

政治とか社会とか人権とかそういうの面倒だし、そういう話題はあんまり近づけないでほしいな。とか思う「余裕のある」者らだけが本を新刊で買って読むことができる社会は、もうやってきてるよね。

そしてそういう「余裕のある」者らが出版業界の上流=版元とかには多くいて、一方で下流=書店現場は政治や社会の動きに気を配る余裕すらないまま「本が好き」のエモーションだけで書店員をやり続けている非正規労働者でまわっている。

ゆえにかれらはいつまでたっても「本(屋)の魅力を高めてそれをもっと伝えることができれば状況は改善できる」と信じている。上流の者らにとっては見ている景色、下流の者らにとっては見ることができる景色からは、そのような解しか導き出せない。

そしてこのようなことを発信し続けている私は、出版業界の本流からは煙たがられている。

先日の政府による書店支援云々も、そこで提案され実施される施策は結局のところ富裕層向けのものにしかならないだろう。併設されたカフェで飲食をするのも著者のトークイベントに参加するのも、そもそも「本を買う」という行為が先になければ楽しめない行為だ。本を買う余裕すら失った/奪われた者らはコーヒーもイベントも手が届かない。このような想像/予測が立てられれば、あんなものは愚策でしかないことはすぐにわかる。そしてこの解を導き出すのに、たいそうな論理力は必要ない。書店現場にいれば毎日「体感」していることだから。仮に自分では理論立てができずとも、こうして他者から説明されれば簡単に納得できる。しかしそれができない。見ている/見ることができる景色が違うからなのだろう。あるいは、現実から目を背けたいからか。

右肩下がりでどん詰まりに向かい続けている書店現場にいまだなおい続けているのだから、その者らの多くは思いやりとか道徳とかの類に関しては平均以上どころか優の評価をもらえるような者なのだろう。自己犠牲の塊で、他者のために生きることができる者らだ。しかしだからこそ、かれらは自己責任論にがんじがらめにされているとも言える。政治や社会のせいにすることはできない。そんなことは自分が許してくれないのだろう。みんなは文句を言わずにがんばっているのに、自分だけ楽をするわけにはいかない。本気でそのようなことを思っている者らに、どのようにして声をかければいいのか、私にはもうわからない。いや、ずっとわからないままでいる。

Twitterを筆頭としたWEB空間で「書店が厳しいのは政治のせいだ、社会状況が悪いからだ」ということを言えば、すぐさま自己責任論者がやってきて「他人のせいにするなよ」と言われてしまう。そのような様子を見れば、思いやりと道徳心でなんとか生き抜いている心優しき書店員たちは、自己責任論者の言説のほうに納得してしまう。どれだけこちらが理論を説いたところで、かれらは自己責任論者の振りまく恐怖に怯えてしまう。それは仕方のないことで、それを弱さと断じて切り捨てることはすべきではない。

この苦境を自分以外のせいにしたら批判の矢が飛んでくる。そう思ってしまったら、自分が我慢していま以上の努力をすればいい、という方向になってしまうのは仕方がないだろう。そして自分以外のまわりにいる者らも、そのように我慢して努力を重ねているように見えているのだから、なおさら「自分だけ楽をする」わけにはいかないと考えてしまう。こうしてかれらは小さな世界に押し込められる。抑圧の強さは増す一方だ。そして、私のようにその抑圧に抗う者を見ると、嫌悪の感情すら抱くようになる。

本来、我々は敵どうしではない。そして敵どうしではないことを懸命に伝えようとしているが、必死になればなるほど抑圧状態にある者らはそれを拒絶するようになる。

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