結局のところ、大手出版社はどこもなんらかの不正義(刊行する本の中身がクソとか、問屋や書店への対応が真摯ではないとか)を働いているわけで、それはようするに「大きくなった自身の体制を維持するためには、自身よりも小さな存在にその下支えとなるよう強いるほかない」ことの証明なのではないか、と。本来はそのジレンマは己で引き受けるべきもの=責任なのだけど、実際には「会社というのはそういうものだから」というような理由で許されてしまう。そして会社が大きくなればなるほど、その許されも大きくなる。「会社の中にいる個人個人はみな違う考え方なのだから、仕方ないよね」というように。そのありかたは間違いではないが、それが正しくないものとなる局面もあり、そこの判断が疎かになっている、というよりその判断すらなされないこともまた「会社だから仕方ないよね」で許されているような気もする。という、多くの責任を自身で負わねばならないうえに下支え要員にされてしまう個人事業主からの不満。
だって、たとえばKADOKAWA不買運動をしたところで、大手企業であるKADOKAWAは痛手を負うことは確かであるとはいえ、その痛手は全体の売上の極一部でしかない(出版以外の事業もあるし)わけで、一方本屋はKADOKAWAの本をすべて不買されると売上の結構な割合を占める可能性もあるわけで、しかもそれは小さな本屋であればあるほどそのダメージは大きくなるわけで、そういう観点からも「大きな存在の下支えとなることを強いられている」と言えるんですよね。もちろん個々の不買運動は正しい判断だし、そうすべきことなのだけど、だからこそその痛手を(大きな割合で)受けるのがより小さな存在であることの理不尽さが際立ってしまう。