ヘイト本置いてる置いてない問題の難しいところは、判断基準がどうしても「お店」単位になってしまい、そこで働いている個々の状況に目を向けることができなくなることだと思う。特にチェーン店は権限も職能もほぼ持たされていないパートやバイトが現場を回していることがほとんどで、ヘイト本が置いてあることの責任がかれらに負わされてしまう(構造になってしまう)のは、決して「よいこと」ではない。それこそ、レジに立っているのは高校生バイトのこともあり、差別やなんやらの知識がなくても仕方がない。しかしそんなことはお構いなしに「ヘイト本を置いているヘイト書店(で働いてる者)」として認識され、悪者認定されてしまう。それはイスラエル人/パレスチナ人であるからという理由だけでネタニヤフ/ハマスと同一視されてしまうことと同じで、やられた側からしたら理不尽なことだ。だからこそ、公開の場でなされるやり方以外の批判、もしくは事前の予防策が重要になってくると考えていて、それが新刊チェックニュースレターの目的のひとつでもある。
あるいは、ヘイト本置いてる批判をうけて真摯な対応をする、そのこと自体がヘイターを引き寄せることにもなるわけで、その結果ヘイターがお店にやってくるなんてことになったら......ということも考えたい。もし、マイノリティ当事者であることを隠して働いている書店員がいるとしたら、ヘイト本をどうにかする権限も持てず、そのうえヘイターが目の前に現れる危険性まで生じる、最悪の状況がやってくる。なんでもかんでも公開の場で声をあげることが「常に」「よいこと」ではない。これはSNSの功罪を考えるうえで大事な点だと思う。