数年前のラジオ講座のテキストで、尹東柱「序詩」を読みました。
모돈 죽어가는 것을の箇所、
テキストでチャン・ウニョン先生は「すべての死にゆくものを」と訳しています。
죽어가は죽다(死ぬ)+가다(行く)なので、ふつうに読んだら「死にゆく」だし、「すべての死に行くものを愛さねば」が一番オーソドックスな訳になるはず、と学習者として思います。
この詩のあと、詩人は治安維持法で捕まって「死にゆく」、事実上、特高に殺されゆく人生を歩むことを現在の私たちは知っています。私たちがこの詩を読むとき、すでに詩人自身が「すべての死にゆくもの」のなかにいるんです。
ここを「生きとし生けるものを」と訳すことはまさに欺瞞であり、詩人尹東柱を消す行為だと思います。
加害したことを思い出したくない、自分たちを告発しない「清冽な」ものだけを愛でたい。
こうした欺瞞的欲求は、面倒な「政治」を抜きにK-POPやKドラマを消費して、「推し」を愛でていればお互い仲良く出来るのでは?という現在の私たちの甘えた姿勢と通底していると思います。
そして、その甘えの果てに先日の追悼碑撤去が起きてしまったのではないかとも。
ほんとですね。
自分たちを告発しないようにいろんな手段で押さえつけてから、きれいなところだけ利用・消費して、それで「対等に扱ってあげている」つもりになって自己満足してるんですよね、ずっと。
@chaton14
美しい日本はとっても薄汚い
選挙で掃除したいけど
どうやったら市民を掃除好きにできるのか
みんな汚いのが嫌いじゃないんですよね
ほんと難問