「犬が吠えても歴史は進む」、これは父親が共産主義者であったので、1969生の私には幼少の頃から延々と聞かされて来た言葉である。
私自身は、中学の時から明らかに「共産主義」とは違う主張をするようになり、叔父に「トロちゃんぽいね(新左翼ぽっい)」とよくからかわれていた。
結局私は一度も共産主義者にもマルクス主義者にもならなかった。理論的にも「歴史の必然」は無意味な命題、という立場。
変数がほぼ無限とも言える「歴史」に関しては、数理論理学の中でのみ使える「必然」はナンセンス。
物理学でさえ、カントは「必然性」の基礎付けを考えていたが、19世紀の熱力学の発展によって「統計的相関性」に置き換えられた。
ところで、父は共産主義者であり続けたが、母は途中で例の「民主集中制」の問題で緑+精神分析に移行。しかし、4,5歳の時に母が感情を爆発させていた映像と「民主集中制」という言葉が結びついたのは、中学に入ってから。
しかし、共産主義は身体の管理を必ずしも「悪い」と考えておらず、母の子に対する管理・管理教育が重畳したので、私は極端に管理に対してナーバスになり、ついにトックリ・セーターが着れない体質になってしまった。
これは冬には大変不便で咽喉を痛めやすい。年々悪化するがどうしたものか・・
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