(続き)104期2話
<2話>
「綴理とさやか」「さやかと小鈴」憧れの対象と憧れを追う者の関係を対比させながら、「指導」とは何かがテーマとなって進む話。
1年前に抱えていたさやかの苦悩は、綴理を真似することを諦める、自分を見つけ直すプロセスによって解消した。一方で今年の悩みは、自分のことを追いかけてくる後輩の期待を裏切るまいという決意が解消する。
アスリート兼業のさやかに対して徒町は素人なんだから育成法が違うのは当然だが、整理するならば「守破離」のどのステージにいるのか、それによって常に向き合い方を変えることが大切という気づきだけが、さやかを唯一解の呪縛から解放するカギとなった。
ドルケには闇雲な型破りも、惰性のパスティーシュもお呼びではない。綴理への憧憬を勇気を持って破り、離れ並び立つ段階へと足を踏み出すこと。憧れを持って接してくれる徒町に「学ぶ=まねぶ」プロセスとその楽しさを提供すること。それは別々の指導ではなく、一貫した流れの一部分を切り出したそれぞれ大切な瞬間。つかさを追った自らの歩みを振り返ってそれを思い出した点が重要。
(続き)
この苦悩の単純化を避けて長丁場のストーリーの中にそれぞれ印象的な形で落とし込んでいくのは並大抵のことではない。そして「レディバグ」との符合。止まった指を必死によじ登り、光射すほうへと飛び立っていくテントウムシをモチーフにしていることの意味がストーリーで明らかになる仕掛けは驚嘆するばかり。みんなもかちまちが発するロングトーンの直撃を受けるのだ