ここまでの104期は「2年目」「2シーズン目」という部分に付き纏う不安要素、さまざまな色眼鏡に対して全力のアンサーでなぎ倒していく爽快さがあると思ってる。 

<1話>
時とともに姿を変えていく「逆さまの歌」とその解明をテーマにして「伝統」の意味を問い直した。
蓮ノ空において伝統を受け継ぐことは決して過去のカーボンコピーを作成する作業のことではないし、伝統を大切にするということは化石を持て崇めることなどではない。
もちろん、変えた理由がその曲を愛してよりよくしたいため、という必要性も重要な要素。そしてそれは一直線の進歩や独善的な改良とも、ましてや変えることそれ自体が自己目的化した変更とも異なる。

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振りかぶっての前進突破から未来を信じるまなざしへとリフレクの編曲や振りが変わっても、エッセンスは不変。どこだって行けるし壁は壊せる、そのようなメッセージがいつの時代も込もっている。歌の読み直し、出会い直しは時とともに変化し変わりつづける自分のことの読み直しや出会い直しでもあり、それが吟子に届いた瞬間こそが新生スリーズブーケ誕生の瞬間となった。

もう少し突っ込んだ読みを入れるならば、放っておけば保守的ムーブに走って閉じこもり、飽きたら雑に変えたがるオタクの幼児性に対して「それで本当にいいのか?あぁ?」的な挑発をそこかしこに埋め込んでいるあたり、なんとも身が引き締まる。金沢には中指を立ててくスクールアイドルがちゃんと居る。

(続き)104期2話 

<2話>
「綴理とさやか」「さやかと小鈴」憧れの対象と憧れを追う者の関係を対比させながら、「指導」とは何かがテーマとなって進む話。
1年前に抱えていたさやかの苦悩は、綴理を真似することを諦める、自分を見つけ直すプロセスによって解消した。一方で今年の悩みは、自分のことを追いかけてくる後輩の期待を裏切るまいという決意が解消する。
アスリート兼業のさやかに対して徒町は素人なんだから育成法が違うのは当然だが、整理するならば「守破離」のどのステージにいるのか、それによって常に向き合い方を変えることが大切という気づきだけが、さやかを唯一解の呪縛から解放するカギとなった。
ドルケには闇雲な型破りも、惰性のパスティーシュもお呼びではない。綴理への憧憬を勇気を持って破り、離れ並び立つ段階へと足を踏み出すこと。憧れを持って接してくれる徒町に「学ぶ=まねぶ」プロセスとその楽しさを提供すること。それは別々の指導ではなく、一貫した流れの一部分を切り出したそれぞれ大切な瞬間。つかさを追った自らの歩みを振り返ってそれを思い出した点が重要。

(続き) 

この苦悩の単純化を避けて長丁場のストーリーの中にそれぞれ印象的な形で落とし込んでいくのは並大抵のことではない。そして「レディバグ」との符合。止まった指を必死によじ登り、光射すほうへと飛び立っていくテントウムシをモチーフにしていることの意味がストーリーで明らかになる仕掛けは驚嘆するばかり。みんなもかちまちが発するロングトーンの直撃を受けるのだ

(続き) 

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