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ほんと、自分が今まで耐えてきたことの全てがイヤ。東京育ちの「ハーフ」の私は、インターナショナル・スクールの幼稚園と小学一年生を経て、私立のエレベーター校の小学校へ。名前が外国の名前だし、学校中の生徒が休み時間に私を眺めにやって来て、教室から出て、お手洗いにいくこともできなかった。担任の先生は気がついてたそうだけれど放置。耐えきれなくなった6歳の私が「バカ〜」って絶叫し、その話を聞いた上流家庭の親御さんが、どんな馬の骨が自分の大切な子供の学校に入ってきたのか、とクレームがあったらしい。朝礼の体操もやったことのない私は戸惑うことばかり。後ろの男の子らから、「外人ダメじゃん」とか「女のくせに毛が濃い」とか言われ、毎朝お腹が痛くなるように。それでも親も先生も誰も助けてくれなかった。お腹が痛くなるのはそれからも何年も続いたけれど、ある日、盲腸の手術をして、父から、「もう盲腸を取ったから、2度とお腹が痛いと言わないよう」諭された。

普段は考えないで暮らしてるけど、こういう記事を見かけると、よくも自殺したり、グレたりせずに、生きてこれたなあ、と感慨深い。

良い友人らに恵まれたお陰だと思う。

nhk.or.jp/minplus/0018/topic06

良い歳をして、こんな経験を話すのも変だけど、まだ若くて、同じような思いをしている人に、「ここにもいるよ。ちゃんと生きて、そんなに悪くない人生を送れてるよ。大丈夫だよ。」って伝えたい。嫌なことが消える訳ではないけれど、仲間がいると思うと人間はちょっ楽になるから。

そうだ、子供の私が頑張れたのは、住み込みのお手伝いさんだった、「かをるさん」のおかげ。とっても優しくて、いつも「マルガちゃんが世界で一番頭が良くて、可愛い」って本気で言ってくれてた。心の中の頑張れるコアを彼女が支えてくれたのかもしれない。

小学校では、大人しい「しのぶちゃん」と二人で、誰もこない階段の隅っこでおしゃべりするのが憩いだった。小学生の時から、妹を親から守る責任も出てきたりして、そういうことも自暴自棄にならない一因だったかもしれない。

かをるさんとしのぶちゃんに会いたい。命の恩人。

このほかにもいっぱいいるんです、命の恩人。この人たちのことを考えると心が暖かくなり、目頭が熱くなります。「あるがとう」って。

読んでいて、スイスに住むわたしの長年の友だちの娘のことを思い出しました。
彼女も日本人の母とスイス人の父の間に生まれ、見た目は「ハーフ」です。
その子が1年ほど母親と日本に戻って、公立小学校に通い始めたころ、わたしに言ったことがあります。「わたしはスイスにいてもガイジンだし、日本にいてもガイジンなんだよ」と。まだ10歳にもならない子どもにこんなことを言わせるのはどこの国でも同じなのだなと思いました。すでに20年も前のことです。

そのときわたしが言ったのは「ガイジンじゃないよ、日本人とスイス人と両方のいいとこばっかり持っているんだから、ガイジンというひとは羨ましいからだと思いなさい」。

今ではすでにスイスで結婚して小学生の子どものいるお母さんですし、小学校教師でもあります。

でも、電話をすればわたしだとわかると日本語になる子です。わたしも含めて皆でスイスドイツ語で話しているときでも、わたしと自分の母親に話しかけるときだけは日本語。もう5年以上会っていないので、来年はぜひスイスに行きたいと思っています。

JapanProfさんの人生は、日本に住む同じような経験をしてきた若いひとたちの励みになりますね。

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