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楽理なり機材なり作り手の視点に則った音楽評論が過去流行らなかったの、端的に市場規模としてニッチだからだよね。

単純に聴いて楽しむのと作って楽しむのとどっちがハードル低いかと言われれば圧倒的に前者で、実際音楽評論の読者の母体となる、いわゆる「リスナー」全体に占める割合も圧倒的に前者が多いわけで、音楽にまつわる言説が作り手の論理を半ば無視して再生産されがちな(それなりに合理的な理由をもった)構造があるのは前提でしょという。

それすら認識してないようなナイーブな発言をちょこちょこ見かけるのは正直キツい。

2トゥート目の理屈はわかるんだけどバカ売れしてて今でも紙での発行が存続しているギタマガらリットー系を”ニッチ”扱いはちょっと…

出版ビジネス自体がマスに訴求しなくなりつつある現在、むしろニッチな固定客に向けてがっつりアプローチしてきた媒体の方が強いというのは今日的な現象だなと。

いや、まあギタマガに関してだけ言うと紙媒体に思い入れの強い高齢層をLaid Backという定期刊行別冊というか実質暖簾分けを作って商売的には本当は一番美味しい層を切り離し、本誌がギタリストにとっての批評紙というそれこそニッチな層を掴みに行ったという変動があるものの、

ベーマガとかはスタイルを変えずにイオンの中の本屋にさえ生き残ってますし、ギタマガはそもそも雑誌業界全体が華やかなりし時代においても人気紙の一つでしたし、楽器を”弾く”人は李氏さんが思ってるよりニッチじゃないよって話です、

“聴く”人と”作る”人の間の”弾いて楽しむだけ”の層を見落とし過ぎあるいは層としての商業にも批評にも与える効果を過小評価し過ぎ

「ニッチ」という言葉をどう捉えるかによりますが、自分は生演奏なり録音媒体なりで音楽を楽しむいわゆる「リスナー」の中で作り手あるいはその予備軍は一定の割合を占めつつ全体としては少数派くらいの認識です。まぁ音楽評論の読者が実際どのように構成されるかはまた別問題と言えば別問題ではあります。

ま〜〜そっすね、下手な返しをすると「”ニッチ”の定義とは何か」とかいう不毛な論争になりかねないのでそれは避けたい所ではあります

ただ認識しておられるように評論の熱心な読者はリスナー全体に比べるとある程度は楽器奏者の割合が増えるでしょうから、例えばZINEから大手を通した全国刊行へ、などなど商業規模を広げたいとなった時には無視できない程度の人数ではあると思います

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