10月16日、マーク・アンドリーセンが長文記事「テクノ・オプティミスト宣言」を発表した。
https://a16z.com/the-techno-optimist-manifesto/
アンドリーセンは初期のWebブラウザ「Mosaic」開発者として有名になり、Netscape創業に参加、現在はベンチャーキャピタルa16zのボス。ピーター・ティールやジェフ・ベゾス、イーロン・マスクらと並ぶアメリカ流のテック資本主義のエリート中のエリートの一人だ。
どれどれ(と目を通す)……これはアカンやつや。
"AIの減速は人命を犠牲にすると考えている。(AIの進化を止め、AIにより防げるはずの人命の損失を見過ごすことは)一種の殺人である。"
こうした論調で、技術を減速させる要素を「敵」認定していくのだ。AIの進化が人類を脅かすとする「実存的リスク」と並び、例えば「持続可能性」、「ESG」、「持続可能な開発目標」、「社会的責任」、「ステークホルダー資本主義」、「予防原則」、「信頼と安全」、「技術倫理」、「リスク管理」などの概念も「敵」と認定している。
"この戦意喪失キャンペーンは、過去の悪しき考え、つまり、その多くが共産主義に由来する、当時も今も悲惨なゾンビのような考えに基づいている。" "私たちの敵は言論統制と思想統制"
(続く
ハイデガーの指摘を引き継ぎ、大陸の(主にドイツ、フランスの)哲学者らは、科学技術時代の新しい哲学を模索している。巨大科学を前に、どのように自由に思考するか。巨大科学に由来する破局の可能性を、どのように考えればよいのか。私たちは未来の世代にどのような責任を負っているのか。こうした思考が哲学・倫理の最前線だ。個人的には、ナチスの迫害を逃れアメリカに渡り活動を続けたハンス・ヨナス、それにフランスのデュピュイの思想に注目している。
比べるのもよくないと思いながらも、アメリカのテック界隈が好む新反動主義はあまりにも軽薄だ。過去の偉大な哲学者らの思索の成果への「故意の無知」がそこにはある。人間のありようや尊厳への思考(実在)はそこにはなく、人の義務、責任をスルー。目的(人のよりよい生)と手段(技術進化と経済成長)を取り違えたまま、ただ経済を回せとハッパをかける。
新反動主義は米国の巨大テック企業の経営者らに浸透しており、今や世の中への害悪が大きくなっている。アンドリーセンのケンカ腰の背後には、欧州、米国での巨大テック企業への規制強化がある。
いまや米国テック界隈のメインストリームは新反動主義という思想的な袋小路に入りこみ、社会に向き合い責任を果たそうとしない。X/Twitterの惨状もその先触れの一つだ。
『「自分たちが一番うまく未来を作れる。だから、規制だ税金だ社会的責任だなどと言わず、好きなように未来を作らせろ。足を引っ張るな」と言いたいのだ。』
複雑な問題を考えることを放棄して、成長の敵とレッテルを貼りまくる人は、万能感は持っているかもしれないですが、論理的思考も問題解決も行えない(放棄している)ですよね。
AIなどの先端技術を通して、何か見えた(欲望が底上げされた)かもしれないですが、「見えるほど出来ない」のは問題解決を投げた本人の責任であり、社会に責任転嫁している時点で、幼稚だと思います。
背景まで丁寧に感謝します。
クレヨンしんちゃんを見せて、二番煎じだと言ってあげたいです。マスク氏にも。
義務を果たさず権利を行使したい!
という誘惑は理解しますが、大人なら品位を保って欲しいです。
感想:
アンドリーセンらは、要するに、
「自分たちが一番うまく未来を作れる。だから、規制だ税金だ社会的責任だなどと言わず、好きなように未来を作らせろ。足を引っ張るな」と言いたいのだ。
若くてイキったテック起業家がそうした思想(加速主義・新反動主義)にハマるのは、まあ放っておけばよい。ハシカみたいなものだ。それにほとんどは失敗する。
ただ、成功して巨大な資本を手にした巨大テック企業経営者が社会的責任を果たそうとしないのは困る。最近のイーロン・マスクのご乱行はその分かりやすい例だ。
テック界隈の今後は、かなり心配だ。