「共産主義はまず特定の人類学的構造[外婚制共同体家族]によって産出され、次いでその躍進は壁にぶつかり止まった。それ以降の歴史は軍事的なものである。赤軍によって共産主義が外から強制されたところでは、人類学的組成が常に激しく反発し、しばしば奇妙な反応をみせた。いくつもの折衷的な政治形態が出現した。…これらの変異のひとつひとつが共産主義の移植に対する拒絶の現象であり、家族的土壌の性質に応じてその形態は変化したのである。ポーランドでは平等主機的家族、北朝鮮では権威主義家族、アフガニスタンでは内婚制共同体家族、カンボジアではアノミー家族の土壌に移植が行なわれたのである」75-6頁
ここの説明はかなり苦しいように思うなあ
「一般的にいって、自殺は、その家族システムの密度が高く、縦型で、両親と子供たちの相互依存を強いる国であればあるほどより頻繁に発生する。ここでは父と息子の関係の潜在的に病理的な性格についてのフロイトの直観が正しかったことを統計によって確認することができる。権威主義家族と外婚制共同体家族が核家族のモデルよりも明らかに不安発生要因をより多く孕んでいる。したがってより高い自己破壊の頻度を生み出している。
しかし家族関係が縦型であるということが自殺の唯一の要因ではない。夫と妻の関係の平等と安定の度合いは、同じくらい重要なもうひとつの要因である。…自殺の動機における男女の関係の重要さが、なぜ外婚制システムが内婚制システムよりもはっきりと地球規模で高い自殺率を生み出すのかを説明している。…
…最も高い自殺率はその家族システムが、<外婚制で、同時に強い縦型の要素を内包し、男女の平等な関係を有し、高い離婚率>をもつ国々で観察されるのである。…
言語学的な見せかけにもかかわらず、[自殺率が高い]キューバは共同体家族の国なのだ、という単純な仮説を立てる必要があるのである」87・89頁
若気の至りなのか、けっこう無茶な議論してるなあ
「主要な問題は、家族の理想が具現化されることで、2組または3組の婚姻カップル(核家族集団の場合は1組だけ)からなる目に見える具体的な家族集団の姿が実現されるためには、家族の価値だけではなく、さまざまな状況や物質的な条件が必要となるということなのである。だから稠密で複合的な家族は都市部では、常に農村部よりも少ないのである。しかしそれは決して家族の価値が弱体化していることをア・プリオリに意味しているのではない。都市部では、それらの価値が複数の成人の同居や共同の労働というかたちとは異なるやり方で表現されるのである。家族は単に可視的な組織であることをやめたということに過ぎない。農村の生活に結晶化している家族の価値は、都市では非物質的な心的構造の状態に移行するのである」89-90頁
反証不可能な議論に思えるが…
「非常に高い結婚年齢は、共同体家族では許容できない。規模の大きい複合家族が形成されるためには、世代の間隔が小さいか中位であることが前提となるため、晩婚は論理的にそれを不可能にするのである。共同体家族の理念的な形態は、両親の存命中に少なくともふたりの兄弟が結婚することであり、比較的速やかな世代の交代が前提となる。
その縦型の理念的形態からすれば、権威主義家族はひとりの息子もしくはひとりの娘の結婚だけを前提とするのである。したがって世代間の年齢の隔たりが大きくなっても許容されるのである。しかしその組織は、核家族のそれとは反対に、非常に低年齢での結婚も許容できる。その場合、若夫婦は成人である両親の管理と保護のもとに留まるのである。したがって権威主義家族は実際には、あらゆる結婚年齢と呼応するのである。
現存する資料をみれば、実際に権威主義家族が他の人類学モデルよりも幅広い年齢層に対応していることが分かる」142頁
「平等主義的な核家族構造の地域に位置する首都や大都市は、しばしば共産主義の実体ある定着の場となっている。1921年からのパリがその例であり、今日ではアテネがそれに当たる。しかし根無し草化の影響であるこのような政治的な地理分布は、過渡的なものである。…都市化のプロセスがいったん完了すると、住民の安定化に伴なって共産主義的な受け入れの構造が必要なくなるのである。パリの場合、この増加したあと減少するという動きが自殺と共産主義の動きにおいて平行したものとなっているのである。これらの動きは1世代の間隔をおいて反復されている。自殺は1945年から減少し、フランス共産党は1978年から崩れはじめたのだ」167-8頁
「フェミニズムとマチズム
兄弟間の非対称性原理は男と女の関係に影響を及ぼし、絶対核家族モデルと平等主義核家族モデルでは関係のタイプが異なることになる。
核家族はその2つの変種ともに、双系制システムに属しており、父系親族と母系親族に同等の価値を付与するものとなっている。…逆説的なことに、対称性に関心を持たない絶対核家族の方が、『平等主義』家族よりも両性間の平等をより深く実践しているのである。兄弟間の対称性原理は、男性の連帯をア・プリオリに前提とするものなのだ。それがすべての社会で自然なものとなっている両性間の不平等をさらに強化するのである。
絶対核家族は反対に、兄弟の平等や男性の連帯を意に介さないのである。それは夫婦の絆をもっとも徹底した——平等主義的な——帰結にまで発展させることで、アングロ・サクソン諸国の人類学システムを地球上に現存するもっとも女性主義的なシステムにしている。
絶対核家族は、内部に矛盾を孕まない安定した構造である。平等主義核家族は、<夫婦の連帯>の原理と<両性の不平等>の原理との間の矛盾を抱えている。この家族構造は、双系制の核家族システムのなかで男性の優位を肯定するラテン諸国のマチズムに至りつく」178-9頁
「イブン・ハルドゥーンは血族と国家を区別しない。イブン=ハルドゥーンは政治権力の強さは、一定の時代に4世紀以上は続くことがないある血族の活力に基づいていると考えている。彼にとっては、血縁の概念は衰退という概念を含んでいる。『ひとつの家族の威光は4世代で絶える』、息子は『父に値しない』。ここに政治的なイスラムの歴史を作り出す王朝の繁栄と衰退が由来する。
国家の弱さはイスラム世界を政治的な分裂へと導く。イスラム世界は、ローマ、中国あるいはロシアのような帝国として存在することができなかった。…兄弟の連帯という観念は、世界の他のどの文化よりも統一への熱望と分裂の能力を併せもっているイスラム文化の根本的な矛盾を理解させてくれる。
…イデオロギーのレベルではなく家族のレベルでは、内婚制的な閉鎖性を生み出し、イスラム社会が個人からなる共同体ではなく、家族が並立することで成り立っているという様相を醸し出す。イスラム教徒共同体(ウンマ umma)の構造がそれであり、家族ではなく個人の集合である国民というヨーロッパ的な観念と対立する」220頁
「血縁結婚の内分けの変化…都市化プロセスが親族システムに<母系的な偏向>を引き起こしている。内婚制モデルが維持されながらも、変容が起こり、都市層での妻と母の重要性の増大を示すようになる。イスラムの地においてさえ、近代化のプロセスは、女性の権力の増大を引き起こしているのである。そこからイスラム教徒でありイラン人である男性たちの不安が生まれたのである。彼らがホメイニとともにすすめた闘いは、幾分はシャーに対抗するものであったが、しかし多くはチャドール(女性のスカーフ)のため、つまりはシャーが薦めた女性解放に反対するものであった」227頁
一種のバックラッシュか…今のイラン情勢を見るに含蓄深い分析だなあ
「20世紀の歴史を決定したイデオロギー分布の源には、家族の存在があったのである。しかし地球におけるイデオロギーの歴史とは、人類学的な条件を基底にしながらも、偶然が介入することによって生まれた目的を持たない運動なのである」292頁
「構造的な一致と伝播
家族構造とイデオロギー・システムとの一致は絶対的であり、人類学的な分布図と政治学的な分布図が性格に重なることが示しているように必然的な関係であった。だが家族構造と文化的な成長の関係は、実際にはそれよりはるかに緊密性が少ない。
イデオロギーは夢や感情の領域のものである。平等と不平等、自由と専制といった理想は、頑強であり理屈で説明できるものではなく、地球上にはそれらの配置分布にしたがって厳格に分断され、互いに相いれない空間編成が創りだされているのである。それぞれの人類学的システムは、隣接するシステムとの交流を最小限に抑えながら自らの政治的価値を生きているのである。まさに家族構造と支配的なイデオロギー構造とが、実際上見事に一致する所以である」324頁→
「逆に文化的成長は、人間理性の普遍性に与るものである。識字化は、ある種の人類学的システムによって促進されるとはいえ、人類全体に共通する潜在力の現われであることに変わりはない。政治的な価値がかなり大幅な閉鎖性を互いに見せているのに反して、文化的な領域での交流は、諸文明の間で実に容易に進行するのである。このためにシステム同士が隣接している場合、文化伝播の現象が起こるのである。それも相互作用をおこすシステムの人類学的タイプとは関係なく伝播が発生するのである。
地理的には隣接しながら、家族システムが異なる2つの地域があるとしよう。そこではイデオロギー的には異なる夢が生きられている。だが文化的な成長は、固有の素質と異なる傾向に従うことになる。しかしそのなかで文化的に恵まれている地域が、文化的な成長において相対的に恵まれていない地域に不可避の影響を与えることになり、隣接しているということだけで大衆の識字化の伝播が促されるのである」324-5頁
「世界でヨーロッパ以外に権威主義家族構造が伝統的なシステムとして見られるのは、3つの大きな地域に限られているようだ。日本、韓国・朝鮮、そしてイスラエルである。…権威主義家族は<縦型>で<不平等的>であると分類できる。…
ところで兄弟間の不平等は、ほとんど常にその補足物として比較的高い女性の地位を生み出すことになる。このタイプは双系制で、両性の関係が比較的平等である。なぜなら女性による<相続>が実際にしっかりと受け入れられているからだ。…
血族家系の理想に不可欠な兄弟間の不平等、男性間の不平等は、実は男性の優位性を前提とする価値体系に呼応しているわけではない。権威主義家族は長男とその弟たち、つまり相続者と非相続者を生み出す。男性に一義的に価値を見出すのではなく、男性たちを格差によって区別するのである。
…日本の家族は両親の双系制の特徴を非常にはっきりと示している。ユダヤ文化はユダヤ性の母系による継承を理想としており、しかも息子がいない場合は娘による財産の相続をしっかりと認めている。バスク文化は、他の権威主義家族にもまして財産の母系による相続を伝統としている。これほど意識的ではないが、ゲルマンの諸家族構造も実際上はそれほど違わない」349-50頁
「人間による生成という『歴史』概念の起源そのものに、権威主義家族構造のなかでももっとも堅固で永続性のある構造をもつだろうユダヤ民族の権威主義家族構造が関与していたことは驚嘆に価する。…
聖書の権威主義家族は、世代から世代へと受け継がれる相続と血縁の持続を描いている。それは父・息子・孫と続く相続を通して体現される時間の線的な概念を造り出し、繰り返し産出するのである。数学的な意味で連続し、方向性をもっているこの最初の時間概念は、したがって家族と血縁の巨大な系譜の形態を可能とするものである。
家族の歴史として具現化されたこのような歴史の動きのイメージは、16世紀に自らの似姿をこのような聖書に見つけ、それを我が物としたヨーロッパ北部のプロテスタンティズムによって再発見された。プロテスタンティズムへと改宗した大部分の国々は、権威主義家族の伝統をもち、その一般形態はユダヤ的な家族形態に非常に似ているのである。大きな違いは、ヨーロッパ北部が、ユダヤ的伝統では大いに許されているイトコ同士の結婚に対して、はるかに敵対的であるということである」365頁
「潜在的な母系制
世代間の関係が権威主義的で兄弟の関係が平等主義的であるロシア家族システムは、共同体家族である同類の中国、インド北部、トスカーナ地方のそれのように厳格な反女性主義である。男性同士の平等と連帯には、一般的に女性の地位が低下するという傾向がみられる。権威主義的で反女性主義的であるこの家族モデルは、成長に適したいくつかの人類学的要素のうちのひとつしか持たないことになる。つまり成長プロセスの長期化に適した親と子供の権威主義的な関係である。
ところが兄弟間の平等と両性間の不平等が組み合わさった理論的システムに比べて、母系制の顕著な偏向を示しているロシア家族にはこのような傾向は必ずしも見当たらない。このシステムは、父系制・縦型システムとしては、女性の地位が異常に高いのである」378頁
「あまりに長い期間、人類学は、家族構造という真の基本的形式の分析をないがしろにしながら、親族システムの分類に没頭してきた。…
エヴァンス=プリチャードが提案したこの[家族関係と系譜学的関係の]重要な区別は…(各個人間の)家族システムの分析を(イデオロギー的)な親族システムと区別することを可能にするものである。この区別の重要性が認められるのが遅きに失したために、人類学は最近まで、イデオロギー・システムとしての親族関係の分析を特権化してきた。…19世紀にすでに、フレデリック・ル=プレイがヨーロッパについて提案した類型学に匹敵するようなアフリカの家族集団についての整合性のある類型学はいまだに存在しないのである」431-2頁
いわゆるeticとemicの区別に相当するのかな?
「<1970-1980年頃の女性の結婚年齢と識字率の相関係数は非常に高く、プラス0.82である。世界で人々が読み書きができる地域というのは、女性があまり早く結婚しない地域であり、成長期間が長い地域である>」311頁