すべての差別、というならば、silence is complicit なわけで、目に付いたすべての差別だけでも見て見ぬフリをしない事が本当にできるか、と言われれば、残念ながら私自身はNoですね。
努力はしてるけれど。
あの時、立ち止まって介入した方が良かったんじゃないか、と後になって悶々とすることが多々ある人生です。

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一番卑近な例。母親が家族の中で女だからと当たり前に虐げられているのを見て殆どの人は育つ。

母親本人はそれを受け入れて肯定的に生きている場合もあれば(それはそれで子としてつらいこともある)、

かつてのうちの母のように常に苛立ちMAXでそれを長女である私に垂れ流し当たり散らし続け、しかし夫(私の父)や、舅姑小舅小姑には何も漏らさずに、外面では笑顔で元気に生きている…

…みたいなパターンは、枚挙にいとまがないんですよ。

私は彼女(母親)を救い出したくて、半生を費やしたようなところのある人間です。

だけど、最後は見限りました。

彼女は“ただの犠牲者“ではなく(そう言う側面はもちろんあるけれど)、そう言った世界に留まり維持する“勢力の一員“(ジャニタレみたいな)でもある。

そんな訳で実家で懲りていた筈なのに、私は結婚して夫の実家で、義母が義父に虐げられているところを見て、また同じことをしてしまった。「お義母さんが可哀想だ!」と義父に食ってかかったことが幾度となくある。

しかしその時も、頭に来てガーッと抗議したのは私だけで、義母も他の家族も知らんぷりで背中を丸めて落花生食べながらTVを観てました。

From: @upasampada
fedibird.com/@upasampada/11243 [参照]

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