リベラル(≒自由民主主義者)とソーシャリスト(≒社会民主主義者)の違いじゃないですかねぇ…
私は後者のつもりなんですが、アメリカ的なリベラリズムには西洋近代思想を普遍的なものと勘違いした楽観的なものの見方を感じます。
From: @zpitschi
https://fedibird.com/@zpitschi/111570979201428703 [参照]
へぇ。
私は自分はその区分で言えば前者のような気がしていた(西洋近代思想を普遍的なもの思ってた)気がするんですけど、違うってことなのかなぁ。
思ってみたこともない視点なので、全然理解できてないですけど、新しい視点をありがとうございます。
@zpitschi 楽観的というのは、非西洋近代(≒非白人)の視点から見ると失礼だったりする(ので、西洋近代人の楽観的な想像のとおりには世界は動かない)、ということです。
私はやはりリベラリストかも知れませんが、本来の意味でリベラリストであれば、今の欧米人のような態度はあり得ないんじゃないかと考えています。
さっきも書いたけど、個人であれ、民族であれ、何であれ、自分の善意や正義感から発したものであっても、人は他者を思う通りに改変できるわけがないから。
それは「してはいけない」ことでもあるとは思うけど、どちらかというと私の感覚では「出来る訳がない」という感じですね。
@zpitschi リベラリズムは独立した主体としての個人を前提としている面が強いので、文化的背景の異なる社会への想像力は欠けてると思ってます…
言ってることは分かるけど、私は独立した主体としての個人で構成された社会が良いな。笑
独立した主体というのは…独立というよりは分離という言葉を使いたいですけど。
あと、私はそれを、別にそれは経済的に自立しているとか、そういう外側の話ではなく、心理的な意味で使ってますけど。
家族主義的な日本(おそらくは他のアジアの国も)の社会にはウンザリしているので。
そしてうちの両親は左翼であったにも関わらず、とても家族主義的な人たちで、私としてはそれでうんと嫌な目に遭ったと思っているので、アレは勘弁してほしい。
社会主義(共産主義)と彼らのような家族主義が相性がいいのは分かるけど。
「親は親。子どもは子ども」とちゃんと個人主義が確立していないことで起きる問題について悩み続けてきた結果、精神分析に辿り着いた者として。
@zpitschi @zpitschi 人の思考というのは何もないところから始まることは不可能ですよね?誰であれ、自分が育ってきた環境とか、もっと言うと自分が使う言語の制約を受けてしか、思考できないわけで。西洋近代だって特殊な枠の中に閉じ込められているのに、そこは自省しないで、自分たち以外の人たちだけが何か狭い檻の中での思考しかできないかのように考えるのは(植民地主義の正当化がその最たるものでしたが)、傲慢だと思うんですよね。
私の感覚だと、その「植民地主義」はむしろ借り物の、ファッションのようなものであることに問題があるのであって、もっと自分たちの内面の家族主義的なものと皆んなが向き合わない限りは、少なくとも日本の場合はこれまで繰り返してきたような全体主義への道に向かわざるをえないという気がしているんです。
借り物だったり、押し付けられて力に従うようなものであっては、そもそもそれは本来的な意味でのリベラリズムではないですよね。
そういう意味です。
だから、日本の家族主義を大切にするのがいいとは全く思ってません。ただ、上からそれを無理やり変えようとしても変わらないという認識はおそらく同じですが。
@zpitschi 個人主義の筈のアメリカが、いまとても全体主義的に、イスラエル批判を弾圧してますね…
ですから、もちろんさまざまなイデオロギーも哲学も大切だとは思うけど、そんなことよりも、結局、人間の心の奥底に染みついたものの方がよほど強いと私は思っています。
@zpitschi そういう、各人固有の事情を考慮せず、誰でも同じ条件下なら同じ行動をする(できる)かのように夢想しているのがリベラリズムだと、私は思ってます…
外からの押し付けが良くないというのはあるレベルではわかりますが、しかし下手をすればそれは「日本国憲法は押し付けられた憲法だ」論に繋がりますよね。
それが夢みがちな理想論だったとしても、私はその理想を求めます。ただ私が言っているのは、今の現実との乖離をきちんと直視すべきだということです…それを私たちは全国ずっと怠ってきているし、その否認自体がとても日本的な対処の仕方だとは思います。
私は子どもの頃からその矛盾が問題にならないことがとても不思議でした。
私が言っているのは、つまりそのような不都合な葛藤の存在が現実にあることに目を向けるべきだということです。
それに対してあなたが言っているのも、あなたのいう夢みがちなリベラリストが入っていることも、理想を直ぐに実現するか、現状をそのまま受け入れるかの違いがあっても、どちらも葛藤的な現実を無くすのが良いことであるかのように言っている点で、私に言わせれば、安直で非現実的。そして葛藤の中にある問題は何も解決されない。
繰り返しますが私は二つの相反する認め合えない力のバランスに耐える社会というのが民主主義であり成熟した社会だと考えます。それは葛藤が解決されないまま持続するので不快が続きますが破滅は免れる。
@zpitschi 日本国憲法は“押し付け”ではないし、自由主義を批判することが日本国憲法を批判することと同義というわけではないですよ?自由民主主義でなければ民主主義ではない、というわけではないので(最初のtootに戻りますが)…
私は日本国憲法の(自民党案による)改定には反対です。因みにTwitterではずいぶん前からそういうtweetをピン留めしてます(以下は3代目くらいなので日付が新しいですが、同じ内容をピン留めし始めたのはもっと前です):
https://twitter.com/maggie_ms/status/1455152577197211650