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「貧乏人は動物を飼うな」、よく見かけるフレーズだけど、ある一面では真理、でもあらゆるケースに適用できるわけでもなし、反論されずに攻撃できる万能の武器でもないと思う。
犬や猫で長めに見積もって約20年。鳥、魚、爬虫類なんかだと、もっと寿命が長い種類もいる。そんな先まで健康で働けてる確証なんか誰にもないわけで、そこまで言っちゃうと自分の子すら持てなくなる。大型犬の生涯に必要な金額は平均430万円くらいだったか?そんな記事を前に目にしたけど、貯金するなりして430万円を用意してから飼うべきかというと、正論なのかもしれないけど現実的でもないような気もする。
「貧乏人は動物を飼うな」は、現時点で貧しいなら手を出してはいけないし、万が一途中から貧しくなったなら、可能な限り手を尽くさなきゃいけない。命を預かる責任ってそういうこと。もうちょっと言うと、お金があっても愛玩動物の健康維持や医療費を出し渋るような人間はいるので、お金があるかないかよりも、どこまでやるのか。「やる気があるか」でなくて「やるかどうか」。

これはでも、実際に「飼うな」とはもちろん他者が言えることではないけど、「やめた方がいいかも」とか「厳しいかも」とは言わざるを得ないことがあるのは事実。

私としては、動物の一匹や二匹、飼うのは、「最低限の健康で文化的な生活」の筈だとは思うけれど、現実には本当に厳しいんですよね。下手すりゃ共倒れになるし、そもそも生保で暮らせるアパートでペット可なんてところ、まずないんじゃないかな。だから、今のこの状況は本当におかしいと思うけど、「飼いたい」という話を聞くと(そういう人は少なくない)、「うーん」とならざるを得ない。止めろとはもちろん言えないのだけど。

From: @kisakino_mina
mstdn.jp/@kisakino_mina/111324 [参照]

@kisakino_mina

変な話、人間の子どもなら、いよいよ育てられなくなったら、施設が預かってくれるという逃げ道もあるわけですが(そういうことにとても批判的な医療従事者が多いのを私は知っているけれど、…何故なら何人も産んでは預けている人も少なくないからなんですが…私は無理だったら迷わず施設を頼ればいいと思っている。産むなという権利は誰にもない。敢えて言えばそうやって生まれた子どもだけには親を恨む権利があるだろうけれど)、動物はなかなかそうもいかない。

最終的には保健所ということになるだろうし、そうなれば動物はもちろんだけど本人だってつらい。

そして、私も猫を三匹飼いましたが、今は本当に動物は馬鹿みたいにお金が掛かるし、動物が病気や歳をとった時には、お金も世話も本当に大変。昔のようにはいかないです。私も本当にお金も体力も年齢的にギリギリだった気がしています。もうこのあとはとても怖くて飼えない。

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@kisakino_mina

でも、この間も書いたけど、同時にそうやってみんなが萎縮してしまったら、誰にも飼ってもらえない動物が増えてしまう。ある程度、後先考えずに飼う人がいるって大事な気もします。明日のことなんて誰も分からないのだから。

この間、誰かが、ガザの子沢山を信じられない(「明日をも知れぬ生活の中で、どうしたらそんなに子どもを産む気になるんだろう?」という意味で)と書いていて、私も臆病者なのでそういう気持ちはよく分かると同時に、どんな戦時でも、ポコポコ子ども産んじゃう逞しさって、本当はとても大切なんじゃないかと、他人のことなら、そんな風に思う。子どもは子どもで生まれてきたからには何とか生きようとするんだから、そこまで責任を取らなくてもいい。とにかく生まれてきたことを皆が祝福すること。産んでくれたお母さんを労うこと。それでいい気がしている。

同感です。一律の正解はないのだと思います。

@kisakino_mina

実は私も子どもの頃に自分が「飽きちゃって」(私が進んで飼ったのではなかったけど、私に一番懐いていた)放ったらかしにしているうちに(餌は大人がやってくれてたけど、あまり構わなくなっていた)、死んじゃった猫がいて、母親に「あんたが殺した」と言われて(そういうことを子どもに言う母親でした)それがずっとある種のトラウマ(専門的な用語としてではなく、一般的な意味での)になっていたという黒歴史があります。

だから大人になって3匹、とりあえずできる限りのことをしてあげられた(させて貰った)と思えたことは、私にとっては、積年の罪滅ぼしというか、子どもの頃に死なせた猫の供養もさせて貰えたと感謝しています。

仕事で今、他人の子どもの頃の話を聴いていると、ペット関連の「トラウマ」はとても多いですね。そもそも親が動物を飼う能力がなかったり、酷い場合には、子どもの前で子どもが泣き叫ぶのを知っていて、子どもが可愛がっている動物を虐待したり殺したりという話もよく聴きます。

ガザやウクライナ、311の時の福島など、つらい話も多いけれど、あんな中で餌やりをしたりレスキューしたりしてくれている人には頭が下がります。

子供の頃の動物関連は耳が痛いですね。可愛がっていたつもりの小動物を、無知ゆえに死なせてしまったことが多々あります。
先代猫たちの看取りも、そのときは全力を尽くしたつもりでも、振り返れば後悔ばかりで、今いる猫16歳には、これまでの経験値を(知識のアップデートもしつつ)最大に生かしたいと思っています。

子供が可愛がっている動物を親が…というのは、うちの母親は直に手を下すことはしませんでしたが、子にダメージを与えるための嫌がらせとして「捨てる」と脅したり、勝手に誰かにあげてしまったりと色々やってくれたので、そういう人間が存在することは、なんとなくわかります。
それにしても酷い親がいるものです。

@kisakino_mina

やっちまった系の、ある程度笑い話になることもありますけどね。虫とかなら。

変な話、ある意味では子どもも動物も同じですからね。でも、同時に時代的な制約もあり、もうひとつは、親としてはそれが精一杯(本人もそうされて育ってきた)と言うことなんだろうとは思います。しかし、子どもにとっては忘れられない記憶になりますよね。

本当に子ども時代の思い出を聞いていると、ペットにまつわる何らかの傷つきの話は割とごくごく普通によく聞く話だし、そう言う話を聞けば、大体、親の精神的な成熟度を推察できるし、親子関係の養育の問題も浮かび上がってきます。そして、それは親だけでなく、成人した子の側を理解するのにも役に立つ。

ペットの話は、ある意味で人を映す鏡になりますね。

@kisakino_mina

たかがペットの話じゃないんですよね。案外、誰にも言えずに心にしまっていてずっと自責感に苦しんでいる人も多いんじゃないかな。

そう言うのをシェアできる相手がいたりすると、皆、少し楽になれるかも知れません。

こういう場に吐き出すだけでも少し楽になるような感覚はありますね。書いて頭の中が整理される効果もありますし。

@kisakino_mina

子産み子育ても私など勇気がなくて出来なかったクチだけど、お金があったり学歴や社会的地位がそれなりに高かったりすると、何となく誤魔化すのがうまくできるけれど、多分誰だってたくさん失敗して後から思えば結構酷いことも、本人的には良かれと思ってやってるけど逆効果でしかないことも、皆たくさんやりながら、何とかこうとか運が良ければ死なせずに成人させられたりしているのであって、そんな立派な完璧な親なんて多分いないんじゃないか。子どもを産んだことさえない私が言うのは大変におこがましいけれど。

それを外からとやかく誰かが何か言うようなことじゃないし(私なら絶対に言われたくない)その中には施設やそれ以外の社会的リソースをうまく利用することで何人も産んで成人させてる親がいたって、良いじゃん。むしろ勇気があるじゃん…くらいに思う。

さっきも書いたけど、子どもだけはどんな境遇であれ、親を恨む権利を持ってますけど(“子ども“には誰でも良いから「誰か恨む相手がいること」が必要)、それ以外の人間が何か言うのは百害あって一利なし。本人が悩んで誰かに相談して考えるのはアリだけど。親は恨まれるために存在する。金持ちでも貧乏でも。それ以外の役目は社会が肩代わりすれば良いだけだと私は思う。

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