(安田純平さん続き)
やっぱりクソ番組だった。
結局は、私がなぜ会見でそうした応対をしたのか、会見で話した事実関係は何なのか、という私に聞かないと分からない話を私に聞かずにつくった番組。日本社会における紛争地取材の位置づけも、シリア取材の実態も、何も勉強せずお気楽なまま質問し、5年近くたってもそのまま流す番組に意味あるのか?
例えばナレーションで「戦場では現地の状況に精通した地元ガイドが不可欠。安田さんも、シリア人ガイドを雇ったと述べた」とあったが、「雇った」なんて言っていない。2015年のイドリブ取材は武装組織への従軍でしか不可能で、ガイドや助手と回る現場ではない。従軍では入ったら相手に任せるしかない。
番組側の人物が「人が良すぎるというか、プフ〜(笑)」とネタにしていたが、世界中の“経験豊か”なジャーナリストもメディアも誰ひとり取材できなかったのが2015-2018年のイドリブ。その現場を取材できてもいない人の、全く違う現場の体験談をもとにトンチンカン話するなどただのデマ番組でしかない。
(安田純平さん続き)
04年のイラク人質事件では、被害者が「イラクを嫌いになれない」と言っただけでメディアは徹底的に叩いた。2015年にはシリアへの取材を構想しているという記事が出ただけでカメラマンが旅券を没収された。「また行くのか」の質問は、それが狙いか不勉強なだけのお気楽かどちらかしかない。
私は2015年のはるか前から「また行く」宣言などしていないし、現場行く前も行っている間も隠し続けてきた。現場に行くとか、いるとか開陳するのは、現場でも日本社会に対しても危険すぎる。そういう背景があっての会見対応。
「会見は全てが分かる」とか本気で思ってコメントして番組つくってるのか?
せめて番組に出した3人に改めて私に当てさせて、「あの会見は何だったのか」の番組にすればまだよかった。不勉強なお気楽記者が会見を見ただけで全てが分かる、とかいうトンデモ手抜き取材を誇るかのような番組をNHKの総合で流したというのが衝撃。
ちゃんとやると長くなるので、五月雨つまみ食い式になってしまった。これは改めて書く。
紛争地なんでどこも一緒だろ、こんなことすりゃチョロいだろ、くらいの感覚の人たちがメディアの中にも多すぎる。世界中の誰も取材できず、自分等は手も足もでなかった現場だという自覚くらいするべきでしょう。
(安田純平さん続き)
「また紛争地に行きますか」という質問を「軽いトス」のつもりで聞いたとか。「また行く」と言えば非難の嵐でそれ以外の事実の説明も全てが吹き飛ぶ。実際、メディアはこぞって「白紙」などと見出しを立てた。本来、「また行くかどうか」への評価は何があったかの事実の前提がなければできないが、↓
ほとんどのメディアの興味は「また行く」かどうか、謝るかどうか、泣くかどうかだけで、前提事実がデマだろうと気にしない。色がないだの思いを語らないだの表情を変えないだの涙を流さないだの、ネタにしたいだけの不勉強なお気楽記者にそんなオモチャを与えないために意識してやったに決まっている。