とんでもなくおぞましいものを見てしまったと言う感想しか思いつかない。

こんな恐ろしい映画を観たのは初めてだ。

何だこりゃ。

だけどこれ、インドネシアだけの話じゃないな。

戦後の日本もそのまま重なるんじゃないのか。

人殺しが何事もなかったかのように明るく楽しく暮らしてたのは日本もそのまんまじゃないのか。

アクト・オブ・キリング《オリジナル全長版》を観ているよ。
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昨夜、アマプラで観た映画(『アクト・オブ・キリング』)のことをまだ考えている。

「おぞましいもの」耐性は、私は自分は人一倍ある方だと思っているんだけど、その私がグロッキーな気分。

しかもそれは実はわざわざ見に行かなければ見ずに済むものではなく、私たちが日々暮らしているこの世界の、一皮剥いた姿そのものなんだと思ったからしんどい。

ありゃあ、戦後の日本の自民党とその支持者(積極的であれ、極々消極的に仕方がないと諦めているだけであれ)だと思った。

違うのは、一応表向きは殺人を無邪気に自慢げに語らないところくらいだろう。そう言う意味では彼らのほうがマシなくらいだ。多少は良心というものが残っているから、自分の中での整合性を取ろうとしている。

本当にとんでもない「ドキュメンタリー」だった。つらい。

From: @zpitschi
fedibird.com/@zpitschi/1106294 [参照]

一応、知らない人のために断っておくけど、あの映画は戦争の話ではないです。1965年と言うのだから、私が生まれたあとの出来事だな。日本軍が彼の地でやってきたことの影響はあるのかも知れないけれど、それは今は別の文脈なので置いておく。とりあえず第二次世界大戦はだいぶ前に終わった後、インドネシア国内の共産主義者殲滅作戦みたいなものがあったらしくて、その時の話。

ただそこで罪のない人間の大量虐殺を実行した人間が、今もまだ大手を振るって生きていると言うのが、戦後の日本に私には重なった。

膝に孫たちを抱いているプレマンは、安倍晋三を膝に抱く岸信介だし、私を膝に乗せる私の祖父。私くらいの世代までは、祖父の世代が兵士として戦争に行っている。日本中の男が駆り出されたのだから例外は本当に少ない筈。だけど、そこで何をしてきたのかは、私の祖父も含めてほとんどの帰還兵は語っていない。

私よりも若い世代になると、それは自分が生まれた時にはもう仏壇の遺影になっていた曽祖父なんじゃないか。またはもっと若い人なら、曽々祖父?とにかくほとんど知らないご先祖だろう。

でも私は内孫だったので毎日一緒に暮らしていた人だ。

その人たちが多くを語らないことを良しとして、家長と敬い、被害国の人を戦前と変わらず見下し続けた戦後社会だった。


50年前、私が高校生だった頃には、戦争を兵士として経験した人がまだまだ沢山生存していました。

当時私は、実家がバスも通わない山の中の村にあったので、県立高校に通うために、隣の田舎町にある叔父の家に下宿していました。叔父の家は天理教の教会で、毎月決まった日に信者が集まって祭典をするのですが、その信者の中に如何にも田舎の老人という風情の話好きな人がいました。その人がある時茶飲み話の席で、戦争の思い出として、中国で中国人を殺したことを懐かしげに、何ら咎められる気持ちも無いような表情で、いっそのこと自慢話であるかのように語り始めたのです。聞いていてムカムカした私は怒って何か言いました。具体的に何を言ったかは覚えていません。彼は、え、何?何でこの子は急に怒りだしたの?という表情で私を見ました。

あの日以来、誰が何と言おうと、日本軍兵士がアジアの戦地でとんでもない悪逆非道を行ったという事実を疑ったことはありません。

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