むしろ、実体験から思うのは、教えられるような顔して(教えなきゃいけないと思って)生きてたのが迷惑だったような気もしたんですよね。偉そうに、さも何でも分かってるかのような顔していたのは(尊大な人たちでしたからね)、あまり良くなかったかも。人間がどうやって生きていけば良いかなんて、そんな難しいこと、自分だけだって精一杯なのに、他人のことまで、分かる筈もなかったのだから。
60年安保の頃の学生で、当時はインテリ学生として、日本中の民衆を率いるんだくらいの背負い込み方してた人たちだったけど、理想に燃えて結婚して子ども作って…。私が青年の頃は、バブルの始まる頃で、ベルリンの壁が崩壊する少し前、…彼らが思っていた価値がいろんな意味でみんな崩れてしまって、多分日本中のサヨクやその他の人たちも、途方に暮れていた時期でしたしね。可哀想なくらいに頓珍漢な感じでしたよ。
まぁでもいつの時代も、親世代なんて、そんなものなんじゃないかと言うか、むしろ、自信を持って青年期の子どもを導ける親って、下手したら子世代にとって害悪じゃないかな。
考えてみたら、あの頃の親がちょうど今の私くらいか、少し年下くらいだからなぁ。
もし今、私に子どもがいたとして、その子どもがどうやって生きていけば良いかなんて、とてもじゃないけど、私には教えられる自信はない。威張らなくても良いけど。😆
「早く日本から逃げろ」とかは言いたい気がするけど、で、それからどうやって生きるのかって、皆目分からない。「自分で考えてね。アンタならできる。頑張れ。達者でね」くらいしか言えないと思います。情けないけど。😅