「そもそも日本社会は伝統的にLGBTへの許容度が高く」というのも、使い古されたクリシェの反復

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本当、私なんかこれも昔は信じていた。
今思えば嘘八百じゃん!

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「そもそも日本社会は伝統的にLGBTへの許容度が高く」というのも、使い古されたクリシェの反復 fedibird.com/@hayakawa2600/110 [参照]

「お稚児さん文化があった」みたいな話がよくその論拠にされていたりしたけど(私は何度もそういう説明を耳にしたことがある)、この間、映画「スポットライト」観てて改めて思ったけど、キリスト教文化圏だって、ある意味では公然の秘密として似たようなことがずっと行われてきてたわけで、その児童虐待の公然の秘密に皆が慣らされていて問題にならないことが、LGBT差別がないという話とイコールになるわけないじゃん。下手したらむしろその逆なんじゃないの。今の社会見ていてもそう思うよな。

今だってジャニーズみたいなことはあるわけで、公然の秘密になってて、皆が知ってるのに児童虐待の存在を見て見ぬ振りしていることと、大人の性指向や性自認に対する偏見や差別が存在していることは、別に普通に同時に存在していて、前者があるから後者に寛大とか、全然ないよね。

何で「むしろ逆」だと思うかって、改めて考えてみたけど、これもまたもしかしたら「男らしさの病」の類のひとつで、自分の中にある分裂排除された「弱い男の子」の部分を実際の子どもに投影して「支配して自分の強さを確認する」と同時に「そうやって排除された自分の分身(投影)を愛でることで自己愛を満たす」みたいなことの必要性から起きているんじゃないかと思わなくもないから。

あと、それが敢えて女の子には向かわずに男の子に向かうっていうのは、もしかするとある種の女性恐怖や女性嫌悪みたいなものとも関係あるかもしれない。

何れにしても抵抗できない子どもへの性虐待で満たされる何かと、LGBT差別で満たされる何かは案外、通底していそうな気がする。ですから、差別がなかったことの論拠などには、当然なり様がないと思うわけです。

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