"谷口 本の冒頭に、日本では人権が「思いやり」と同一視されている、という指摘が出てきます…日本には人権を誤解しているどころか、積極的に否定してくる人さえいます。

先日、ホテルのレストランで、昼食を食べながら出版社の編集者と打ち合わせをしていたんですよ。今、私が作っている人権の本の構成について話していたら、隣に座っていた60代くらいのご夫婦の男性が突然怒鳴ってきたんです。「こんな場所で人権の話なんかするな!」って。びっくりしたら、お連れ合いのほうも、「ごめんなさいね。でも美味しく食事をいただいているときに、そんな話を聞きたくないんです」って。

藤田 ええー。

谷口 「私たち、仕事の話をしているんですよ」と、冷静に対応しましたが埒があかないので、お店の方にお願いして個室に移りました。はあ? という感じですが、これが日本の一般的な現在地なのかなとも思ったんです。これ、ロンドンとかニューヨークのレストランだったら。

藤田 あり得へんと思うな。"

日本人はなぜ「人権」という言葉が苦手なのか – 集英社新書プラス - shinsho-plus.shueisha.co.jp/in

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す、凄すぎるっ😳

多分だけど、「ワガママな奴らのタワゴト」という感じなんだろうな。大概、こういう人は“思いやり“が大好きで“ワガママ“は許せない人たちだと思うので。

て、私に言わせればワガママ自体が人間にとってはものすごく大事なものだと思っているので、こういう人に対する私の反論は、「人権はワガママなんかじゃないですよ!」ではないのよね。

いつも思うのは、「とにかく日本人はもっと皆んな自己中のワガママになった方が良い」ということなので。

民主主義はその自己中な皆んなのワガママの擦り合わせや調整の仕組みでしょ。

個々人のそれぞれ違うワガママを肯定する前提がないと、民主主義は成り立たない。
toot.blue/@bandeapart72/109766 [参照]

あ、そっか。

人権は“思いやり“に繋がるからそこからの連想で不幸を想起するので嫌なのか。そうだとしたら、「自分たちがせっかく楽しい時間を過ごしている時に、不幸な人たちの暗い話なんか聞きたくない」っていうことなのかな?🤔

要は「人生の中の、いわゆる暗い否定的な要素は自分の生活から切り離したい」という心の動きから来てるのかな。自分だけはそういうものとは縁がない。そんな話をしたり耳にしたりしただけで、不幸に見舞われそうでえんぎでもない的な言霊信仰?

とにかく野蛮な人が多くてこの国は疲れるよ、パトラッシュ。

「民主主義とは生意気になることだ」と、数学者の森毅さんはお書きになってました。

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