「リベラルは移民やLGBTQなど少数派のことは気にかけるがマジョリティのことは考えてない」のような指摘がトランプが最初に当選した時以来、(日本の)メディアに溢れた現象について。一見もっともらしいが、これは全体主義を煽る危険な話し方だと思う。何故なら、そもそも多数派は投票で政治の行方を変えられる強者だからだ。マジョリティを気にかけろとは、結局強者に媚を売れと言うに等しい。私が思うに、知識人や文化人、メディアの役割はそれではない。むしろ、それらの役割は少数派の声もきちんとすくって伝えることだと思う。監視すべき権力には政府だけではなく、多数派のそれも含まれるのだ。
実は私も一瞬、「マジョリティを大事に」の声に騙されかけた。しかし、サイードの『知識人とは何か』を授業で扱った時に目が覚めた。多数派は危険な人たちで、自分も含め誰もがその一人になる可能性がある。だから、皆が余裕がない時ほど、少数派は気にかけられなければならないのだ。
アイコン画像の色を変えましたわ~
ここしばらく、髪を切るか伸ばすかずっと悩んでいる
#読書 姫岡とし子 著『ジェンダー史10講』岩波新書(2024)、読了。
いかに近代以後の社会においてジェンダー(規範、秩序)が隅々まで作用してきたのかが感じられる。それは当然、「歴史」の見方・述べられ方にも。女性史・ジェンダー史の歩み、及び、どんな切り口があってどんな成果が得られているのかを知ることができた。
もう少し長い感想↓
https://katoyutaca.hatenablog.com/entry/2024/06/13/220028
かとうゆたか。興味関心→日本史、ジェンダー史、名前(人名)の歴史|漫画と油絵とHR/HMが好き|they/them|戦争反対