他に2022年に読んだエッセイの中で良かった、ミシェル・ザウナーの『Hマートで泣きながら』。
ミックスルーツの娘と韓国人の母の間にわだかまる文化や言語や境遇の違いによる複雑な関係性の中で、母の闘病と看取りを経て、ザウナーが母の生き方を再認識していくまでの道のりを綴る、率直な言葉が素晴らしかった。
私も著者と同じく25歳で親の闘病と看護、そして看取り、葬式や整理の諸々を経験したので、ザウナーの体験や感情と私自身のそれとはもちろん全く違うし共感とは全然別の感覚なのだけど、ザウナーの忘れがたく強烈な記憶の断片が駆け巡るさまを読んでいると、自分の記憶がクッキリした感触を伴って反芻されて苦しく、読了までかなり時間がかかった。
ミシェル・ザウナー『Hマートで泣きながら』
ザウナーが葬儀で話した弔辞について、母がいかに得難く傑出した人であったかを伝えたいがあまりに、逆に母の生き方を軽んじていたと気づくくだりに胸をつかれた。
自分の思う理想像や良しとする在り方とは違うからと、否定や蔑視を向けてはいないか。これは私も本当に常に意識して顧みないと…
【↓207ページ】
“わたしだけが明かすことのできる母の特別な一面をわたしは掘り起こしたかった。母はただの主婦やただの母親にはおさまらない人だったと伝えたかった。夫や子供の存在がなくても、個として特筆に値する人だったと言いたかった。慈しみ愛したい人も稼いで創造したい人も、得られる達成感は同じかもしれないのに、おそらくあのころのわたしはそれをまだ受け入れられず、母がなにより誇りにしたふたつの役割を偉そうに見下していたのだ。”