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セカンドレイプが酷い加害行為であると多くの人が知っていますが、いじめ被害者の方の苦しみを他人が軽んじたり、誰かと比較して矮小化したり、善悪や敵味方をジャッジしたりするのも、立派な二次加害ですよね。

オタクやネトウヨとかの言葉も、どういう意味で使っているのかと問い質したくなる投稿をよく見かけますけど、そのなかにいじめの被害者や、いわゆる境界知能や障害があったりヤングケアラーで学校や社会から距離ができてしまったひと、いろんな弱い立場の人がいて、そういうひとがいることを知っていてもなお侮蔑をこめてその名称で呼ぶのならば、それはその人に対する立派な二次加害なのではと思う。知らずにやってしまっているのなら、反省して、知っていく必要があると思う。

そういう雑な言葉遣いで二次加害を続けて、弱い立場にある人や傷つけられた人を追い詰め、彼らが怒りを向ける対象を間違わせ、いつか犯罪者にしてしまい、さらに排除して、何度も何度も「見捨て続ける」ような第三者にはならないようにしたいと心から思います。


そうですね。どこかで誰かが歯を食いしばって止めなければいけない。
3人の娘さんを殺されても平和と共存を訴えているガザのお医者さんのことを思い出します。どれだけの葛藤があるか、想像もつかないです。

自分を傷つけた相手が個人や少ない人数だったら、反撃の相手を間違わないかもしれない。でもそれが、組織だったら、国だったら、社会構造だったら、有史以来の人間の「偏見」だったら、それらを相手に真正面から戦える/戦う気持ちになるだろうか。それよりも、自分より弱い人を相手に暴力をふるったほうが手っ取り早く気が晴れると思ってしまうのは分かります。というか、じつはみんな無意識に、本当の敵を見極めることをおろそかにして、自分をごまかしている部分があるのではないかとも思います。

» 戦後の選挙のポスター - ニチマイ米国事務所
nichimyus.jp/2023/12/14/戦後の選挙の

「あなたの生活面は、ドレもコレも政治という大きな手で支配されている。税金も、住宅も、教育も、賃金も、景気・不景気も、食料も、衣料も、ドレもコレも政治という手で支配されている。あなた方が、この手を支配するのです。新憲法下での民主政治では、あなた方が自分の代表を選んで、あなた方の希望通りの政治を執るのです。あなた方は、諸々の候補者、政党、県ではその業績背景に至るまで注意を怠ってはなりません。真に民衆の利益になるように政治を執る人を選び、自己本位に政治を執ったり、民衆を煽動したりしる人を排撃すべきです。常にあなた方の代表者の行動を監視せねばなりません。」
(1950年の第2回参議院選挙にあたって山梨県選挙管理委員会が作った選挙推進ポスター)

»【緊急報告】NHKスペシャル『ジャニー喜多川 “アイドル帝国”の実像』放送後に入ったテレビ局からの「横槍」電話 (田淵俊彦)
35produce.com/【緊急報告】nhkスペシャル『ジ

"「待てよ、これって基本的人権の侵害じゃない?」 おい、テレビ東京、大丈夫か?"

"「最近、ウチの局、ヘンだぞ」と思っている同士の諸君、勇気を出して声をあげよう!"

法が、大人や社会が、最初の時点できちんとした対応を取らなければ、別の不正義を生むというのはとてもよく分かります。
わたしがずっと念頭にあったのは、ある高齢の加害者による交通死亡事故、加害者が高名な人物であったがゆえに、「彼が捕まらないのは上級国民だからである」という言説があふれた。わたしはあれが恐ろしかったのです。法の秩序や、人の平等や、社会への信頼に対する、一人ひとりの価値観をあっという間に塗り替えてしまうようで、すごく危険だと思った。近所の小学生から「ジョーキューコクミン」て言葉を聞いたときは本当にショックでした。

ああいう、法によらない処罰感情のようなものを、第三者的立場の「多数の」人が共有してエスカレートしてしまうことが怖い。その中にはもちろん、同じような交通事故被害者の方もたくさん含まれていることも分かります。自分もそういう被害者感情から、批判する対象や抗議の向け方を誤ったことがあるし、もちろん正当な反応である部分もあると思う。
それもこれも、「最初の被害者が救われなかった」「今までに救われなかった被害者がたくさんいる」「そこに自分の痛みを仮託してしまう」からという面もあるんじゃないかと。救われなかった苦しさをまた叩き起こされる感じは(少しは)実感として分かるので。。


ああ、わたしはたぶん、強烈な加害者経験や被害者経験がなく、結果的にいつも、第三者としてどうあるべきかを悩んでいるだけの人間なのだなと気付かされます。
わたしにはそこまでのいじめ経験はないので、「いじめられた側」への配慮に欠けていた、この事例でいえば、1000人で一人をボイコットする(私刑にする)ことの善悪を問うことのほうに目が向きすぎていて、そもそもの被害者の救済を(相対的に)軽んじていたところがあったと思います。そういう態度が、間接的に、Sethさんや、いじめを経験された方の痛みを軽んじることになって、反省しています。
被害者の強い処罰感情を「共有」できないというのが、わたしが一番間違いやすいところなのかなと思いますので、肝に命じます。

かくも「正義」は難しい…と、改めて思い知ります。。

anemone さんがブースト

「山本譲司さんに聞いた:「罪を犯した障害者」を、社会はどう受け入れるか | マガジン9」

maga9.jp/190109-7/

大阪地検 検事正による凖強制性交等事件の被害者の方の、今日の会見。

「私は堂々としていたい。検事の仕事もしたい。けれど……」 女性が記者会見で語ったこと(小川たまか) - エキスパート - Yahoo!ニュース
news.yahoo.co.jp/expert/articl

"検事正だった人間がこれほどまでに罪深く、不道徳で、非常識であることを誰も気づいていない。

処罰されるべき人間が処罰されていない。被害者を救い、犯罪者を適切に処罰し、国民の安全と安心を守り抜くことが検察官の使命であり、私の使命であるのに、被害者である私自身は誰からも救ってもらえず、罪を犯した被告人を適切に処罰できていない。その怒りや悔しさで、PTSDの症状が増悪(ぞうあく)し、私の心身は限界になり、休職せざるを得なくなりました。自分の生きがいであった仕事まで奪われてしまいました。

私自身を取り戻すためには、私のアイデンティティを守ることしかない、被告人を適切に処罰することしかない。被告人に真に自分の罪と向き合わせ、同じような被害者を二度と生み出してはいけないと思い、覚悟を決め、被告人の処罰を求めました。"

軽い気持ちで、って書いちゃったけど、楽して稼ごう的な意図があるみたいだわね。そうじゃなくて、ただほんとーに普通にバイト探してたつもりが「闇バイト」だったってことが大いにありうるってことが言いたかった。

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ここ数日、各局が「闇バイト」に注意喚起するニュースやってるけど、そこで取り上げられてた、ディップが調査したアンケートってこれだな。そうか、この表現でも「高校生250人のうち3問とも正しく答えられた生徒は全体の23%」なんだね。。

スタジオでもみなさん言ってたけど、ほんと、軽い気持ちで一生を棒に振ってしまう事態にならないように、1日でも早く学校で教えてー。大人は子どもに教えてあげてー

どっちが闇バイト? クイズでわかる “危険な求人情報”の見分け方∣特殊詐欺加害防止特設サイト 東京都
kagaiboushi.metro.tokyo.lg.jp/

こちらも。
移動中にはけして読めませんが。

寮美千子『あふれでたのは やさしさだった 奈良少年刑務所 絵本と詩の教室』
jimotonohon.com/annai/a1282_af
”一人の少年が書いたまっすぐな詩、「空が青いから白をえらんだのです」が生まれた場所で起こった数々の奇跡を描いた、渾身のノンフィクション。”

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寮美千子/編 『空が青いから白をえらんだのです―奈良少年刑務所詩集―』
shinchosha.co.jp/book/135241/p

本屋で立ち読みしてたらあっという間に落涙しそうになって慌てて買った本。

anemone さんがブースト

やってはいけないことをしたからと、子供のうちから社会から排除されて、俺の友達が通っていたような、問題児専門の山奥の収容所みたいな学校に隔離されて、高校も卒業できずに自他共に認めるジャンキーになって、他人から見下されながら生きる人もいる。

何らかの知的障害があったり、治療や支援が必要だったり、家庭環境がめちゃくちゃだったり、原因がかなりはっきりしている場合でも、烙印を押されて更生する機会を奪われる。

もちろん、どうしようもなく特権的な立場にいて反省もなく繰り返す場合もあるし、俺のようにいじめられる方は理不尽でしかないけど、罪と罰が釣り合ってないことが許されていいわけないし、排除すれば良いってもんでもない。

「誰一人見捨てない」って、めっちゃ難しいことなのに、あまりにも簡単に考えすぎだと思う。

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anemone さんがブースト

児童1000人が授業ボイコット、「いじめっ子」の登校再開受け クロアチア
2024年10月23日 13:03 AFP
afpbb.com/articles/-/3545038?c

日本でありがちな、いじめた子が何事もなく学校に戻りいじめられた子が転校を余儀なくされる、というようなことはもってのほかだと思いますけど、詳細が分からないにしても、あのニュースには少し怖いものを感じますね。

1000人からNOを突き付けられた子は、これからの長い人生をどう生きていったらいいんでしょう。

いったん自分から見えない場所に排除してしまっても、いつかは社会に戻ってきて同じ場所で暮らしていくわけで。懲罰だけ与えて、戻ってくる環境を与えないなら、一生刑務所に閉じ込めておくか極刑にするかしかなくなってしまいます。

ついこないだまで尊厳死で死を強制されることに猛反発していた人が、一度罪を犯した人の命を軽く扱えるのだとしたら、すごく怖ろしい。あのニュースを見て、自分がいじめられたわけでもないのに、恨みを晴らしたような、ざまあみろ、当然の報いだ みたいな「快感」を反射的に覚えてしまうような人が多いとしたら、それもかなり怖いです。。

この手の話になると、かならず「O嬢の物語」の序文「奴隷状態における幸福」を思い出す。というか、わりとちょいちょい思い浮かんでしまうフレーズ。「奴隷状態における幸福」。読み返したいと思ってるんだけどどっかいってしまった。

anemone さんがブースト


本来自由なはずなのに、「上」からの許可がなければ何もできないような思考回路を植え付けて、権力構造を固定化し従属させようとするのは、軍隊教育の基本ですよね。

こないだ元法務大臣の河井克行が自身の刑務所経験についてインタビューを受けた記事がありましたが、自由を厳しく制限されてそれに順応しよう頑張っているうちに、がんじがらめにされている方が居心地がよくなってしまう、というような話をしていましたが、あれはなにも刑務所の話だけではなくて、教育現場から職場、家庭、友達や家族との関係に至るまで、それこそ小さく前習えから始まって、死に方の強制まで、ひたすら自由を制限されて色々なものを押し付けられることに「順応」し過ぎてしまって、その方が心地よくなってしまっている面もあるのかなと思います。

権利の主張自体にも、本来誰からの許可も要らないのですが、誰かに良いと言って「もらわないと」なかなか主張できない。

だから政治との関係に関しても、積極的に権利を主張することを避けて、「誰かに考えて「もらって」、決めて「もらって」、お許しを「もらって」」と、許諾を前提とした、どこまで行っても受け身な言葉遣いになってしまうのかなと思います。

それは裏を返すと、決断の責任を上に押し付けているということでもあるのですが、この国に蔓延る主体性のなさ、無責任さは、そういうところにも原因があるのかなと思います。

自由がないということは、自分で考えて、自分で決断して、自分で行動した結果に責任を持たなくて良い、他の誰かに文句言ってるだけで良い、ということでもあり、不自由ではあるけれど、精神的負荷は低いので、確かに楽です。

河井克行が刑務所の中で感じたことは、程度の差はあれ、外にいる多くの人間にも似たような部分があるのかなと思います。


あのインタビューはいろいろ考えさせられました。
本当に次もう一度やったらいい法務大臣になるんじゃないかと思ってしまうくらい、とか言うとほうぼうで怒られるんでしょうが、ああいう感情の変化のようなものは、本当に「体験してみなければ絶対に分からないもの」だと思うし、それを知って言語化できる人が「刑罰のありかた」について発言するのは良いことだと思います。

誰かに決められる(決めてもらう)ことに慣れてしまうのは、本当に楽なんですよね。気に入らないときはちまちま文句を言うけれど、どうせ変わらないし無力だしって、考え 悩み 戦うことをしないで諦めちゃったほうが、エネルギーを消費しない。なんでも人のせいにしていられますからね。

「自由にしていいよ」と言われても、周りをキョロキョロしてけっきょく多数派と同じ選択をしようとしてしまうくらいには、押し付けられることに慣れすぎている。
みんなと一緒が安心だし、ほんとに「自由に」主張できる人を、異質な、和を乱すものとして排除してしまう。
押し付けられることに慣れているので、誰かに押し付けることにも抵抗がない。
自由や権利を主張しよう、と言っている人たちですら。

根深いですねえ。。

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