久しぶりにいつもの咽頭炎になってしまった。今回はわりと酷い。もう声がでない。
今朝、抗原検査キットの結果を待つ15分、死が少しそばにすり寄ってきて、今もまだ部屋のすみでぐずぐずしているみたいだ、まるで。


いつものやつだと思っても、もしやこれはと思ってぐるぐる考えちゃいますね…。おとなしく家で仕事します。ありがとうございます。


手軽に正確な検査ができれば悩まなくて済むんですが、、、心配ですよね。


かかりつけで診てもらえたのでまあ大丈夫だと思うのですけども…
ほんと、この国はどっちを見て政治してるんでしょうね。誰も大事にされてない。。


少なくとも診察を受けられたのであれば少しは安心できますね。

と思わず書いてしまう時点で、確定検査すらままならないこの状況に対して、既に感覚が麻痺しちゃってますね。。。こうやって、市民を「欲しがりません」マインドに仕立て上げていくのだろうなと思いました。


そうなんです。自分でも(もう一回罹ったらヤバいかもしれないし、いつかコロナで死ぬかもな、しょうがないのかなー)と思っちゃって、なんだかな。。と思いました。。


1ヶ月に1万人も亡くなってるのに、もはや誰も気にしてないみたいで恐ろしいです。
戦争になって同じぐらい戦死者数がでても、たぶんすぐに誰も気にしなくなるんだろうなと。。。


戦中ドラマで、国内がわりと「ふだん通り」に描かれていて気になることがありましたが、案外あれがリアルなんでしょうね。
なんというか、ほんとに戦中疑似体験じゃなくなりそうで。コロナがなければ、戦争が始まらなければ、この半年でこんなに加速することはなかったんだろうか。。


災害等に便乗して、ネオリベ資本主義勢力がその裏で富と権力の集約を進めてきたことは、15年前にナオミクラインがショック・ドクトリンという本で明らかにしましたが、経済だけでなく、政治も全く同じ手法で権力の集中を進めていると思います。

まあ根は同じ連中で、財界と政界は強固に結びついているので当たり前の話なのですが。

天災、人災、どちらも、連中にとっては権力を拡大する格好のチャンスです。

我々一人ひとりがもっと賢くなり、声を上げ、しぶとく抵抗し続けるしかないです。


日本て、天災に慣れすぎたせいなのか、大いなる力には逆らえない(逆らわない)ものだっていう信念じみたものが共有されてて、天災も人災も戦争も、みんな一緒くたにそこに括ってしまうんですよね。日本人の怒れなさの原因はここにあるんだろうな、と思いました。受忍体質というか。なんて御しやすい国民性…。自分のなかにもたしかにある。厄介です。


そこは人類共通というか、海外だと「神」には逆らえないという感覚があって、政府も宗教を基礎にしている場合が多いですが、天皇が象徴になった以降の日本では、絶対神の代わりにその役割を「お上」という輪郭のはっきりしない概念が担っている感じなんじゃないかと思うことがあります。アメリカやヨーロッパでも右派的な主張と宗教原理主義とは相性が良いですし、戦争の正当化から、GSM差別まで、宗教が重要なファクターになってます。

人類にそういう普遍的な従属傾向がある中、歴史的に各国は殺戮の反省から教育で人権や民主主義や自由を教えてきたのに、この国の市民はそれを怠ってきた、ということと、次世代のリーダーを育ててこなかったというか、逆に気概のある若者を寄ってたかって潰してきた、というのが大きいのではと思います。。。


そっか、海外ならそうですよね。
まえから気になってました。実際、個々人の心の中での政治と宗教の距離感てどうなんだろうなあって。こんなとこでサクッと書ける話じゃないですよね。

日本はいまも、八百万の神々と豊かな自然を敬う(神の)国~みたいなのをふわっと受け入れがちだし、ソフトな形で国家神道は残ってると思います。明文化された教典がないぶん、自覚がないのがね。。

今朝返信書きながら、こんな扱いやすい国民に「権利」なんかわざわざ教えないだろうなあ、むしろそんな本があったら焼いてそう、と思ってました。で、そのなかに憲法もあるのだなと。
決定的に「反省」がないのですよね。支配者層も入れ替わらなかったし、天皇も温存してしまって。あの憲法案を見ると、元に戻したいのがよく分かります。
「市民」は…安保闘争の終わり方とかが悪かったんだろうか…

なっが。いつもながらすいません(笑


お祭りから初詣や、冠婚葬祭に至るまで、日常的にものすごく宗教的なのに、無自覚な人、多いですよね。

こないだ見た政治系YouTuber(アメリカ人)も、「ドイツと違って日本は全く反省してない」って言ってました。これは私もずっと言ってきたことで、本当にその通りです。私も戦時中に日本がどれだけ酷いことをしてきたのか、海外で学びました。

その上、侵略/支配される側になったこともないですし。まあ、戦後はアメリカのスパイが政権を握ってきたような国ですから、間接的な実効支配が終わった後も、ずっと操り人形のままなのでしょうけど。。。

安保は左翼の悪い癖で内部分裂したのがダメだったのだと思いますが、反社右翼や暴力団や宗教と結びついた極右改憲勢力がアメリカべったりなのはさっぱり意味がわかりません。。。


ほんとに。。>さっぱり意味が分からない
アメリカ(≒共和党)なのかなと思うんですけど、ツヨイノカッコイイ、的な?? 理屈じゃよく分かんないところがまた気味が悪い。。

わたしが学んでいるかと言われたら全然知らない人よりかは知っているかもしれないけど、海外で(戦時中の)日本に対する批判や恨みをちょくせつ向けられた経験がない時点で、何も知らないのに等しいだろうと思っています。
日本の戦後補償は冷戦シフトのアメリカの意図にのっかって、相手国の声は何も聞かなかったし、それは一般市民も同じですね。この無神経さを放置してきたから今こうなってて、もう同じ失敗して次こそ学ぶしかないのではと思うくらいだけど、そこに至るまでにどれだけの破壊と喪失があるかと思うと。

安保3文書改定でネットが騒いでた時に、バイデンが改定を評価してるってニュースが流れてきて、分かっちゃいたけど日本国民は主権者じゃないんだなーと。アメリカのいうこと聞いてりゃ大丈夫って、いったい誰が「大丈夫」なんだろうなと思います。


マッチョ右翼はどこの国でも言うこともやることも同じなんです。自称表現の自由界隈右翼も、アメリカのトランプ共和党支持者で議会襲撃した連中とあまりにも言うことがそっくりなんで、これはヤバいなと思って、同じことが日本でも繰り返されないようにとTwitterでも批判してたのですが、たぶん数人しか引き止められなかったです。

彼らなりの理屈はあるんですけど、先に感情ありきで、理屈はいつも後付けで、自己正当化のためのロジックなんで最初から破綻してるんですよね。色々と失うことが怖くて、こないだ書いた「不安」という感情への対処を間違えて、行動を完全に感情に支配されているように見えます。

本来、歴史は学校で学ぶべきなのですが、歴史を改竄して無かったことにしたい連中が権力を握ってますし、市民が反省しないのは知らないからで、知らないから反省しない。出口のない愚民政策です。

今回の防衛費倍増は、その多くがアメリカ軍事産業に流れるわけですし、バイデンだけでなくエスタブリッシュメントと呼ばれるアメリカの政治家の多くは、右も左も軍事産業に飲み込まれてますので歓迎するでしょうね。岸田もアメリカのいいなりになってるようにしか見えませんし。。。


奪われる(もうすでに奪われた)と思う人たちの必死さ、と見れば、なるほどな…って思います。トランプを支持する女性とかもちょっとイメージできなかったんですけど、きっと宗教とか伝統とか…日本も同じですよねえ。。

先日のあれは勉強になりました。ありがとうございます。これからなにかあったとき、きっと支えになると思います。

自分のこと思い返してみて…。以前、731部隊を学校で習わなかったことがショックで、とお話しした記憶がありますが、それ以外にも、日本の戦争責任について考えるきっかけを与えてくれた先生が3人いたな、と思い出しました。どれもちょっとしたエピソードで、そもそもカリキュラムに入ってないのが問題だけど、そうやって蒔かれた種を拾って育てる生徒もたまにはいる。わたしも無駄だと思わずに、種蒔かないといけないよな、と思いました。
生きてるうちに、種が芽吹くのを見られたらいいけど…!


トランプを支持する女性とか黒人とかヒスパニックとかアジア人とかは、自民党を支持する労働者みたいなもので、自分の権利や経済的な利害や将来のビジョンみたいなものは勘定に入ってないというか、そもそも具体的な政策の内容なんて一切見てないです。

実際に党名を伏せて政策を並べて選ばせると民主党を選びますし、日本でも政策だけなら共産党がダントツ人気だったりします。

周りの「意見」という名のプロパガンダに流されているか、政治家や政党に対するぼんやりとしたイメージが表層的な自尊心を満たしてくれるかどうか、もっと言うと「自分の生きてきた人生の価値観が否定されるようなことを言う奴がいると不安になるから嫌」みたいな、ざっくりとした無自覚な自己防衛反応で動いているので、「世の中が平等になって失うものがあるとすれば、それはあなたが特権を持っている証拠です」みたいなことを言う「フェミニスト」や「リベラル」がいると余計に怒ってしまうんだと思います。

宗教や伝統はその古い差別的な価値観を押し付け、階層を温存して民衆を統率するためにはものすごく便利な道具なので、極右は必ず利用します。だからと言って宗教や伝統が全てダメというわけではないので、全面的に否定することもできず、必ず距離感の問題になってしまうことが話をややこしくし、右にとって有利な状況にしてしまっていると思います。そこをはっきり認識している人があまりにも少ないから、政教分離は絵に描いた餅で、統一教会や生長の家や日本会議みたいな宗教勢力が暗躍する土壌になってしまっているように見えます。

きっかけの話、種まきしつつ、芽が出る土壌を作るためにも、やっぱり自分がもっとしっかりしないといけないなと思うことが多いです。。。


先日のBBCの記事(なんで日本人はいまだに自民党に投票してるんだろう的な)を思い出しました。はたから見たらぜんぜん合理的じゃないのにそうなっているのには、ちゃんと理由がある、んでしょうね。本邦も。

以前おっしゃっていた「マジョリティの感情のケアだけして裏で搾取する右派」と、「マイノリティまで含めた実利を理詰めで訴えて感情を無視する左派」という話につながるのだと思うんですけど(DM残しておいたのが役に立つ!)。わたしはやっぱり日本にそこまでの左派とよべる人たちは居ないのではと思ってて、でも、もやっと自民党を支持し続ける層に伝わる方法がいま無い(または間違ってる)のも確かなので、それはどういうやり方なんだろうなと。。自民党はマジョリティの感情のケアすらろくにしてないのに、選挙負けませんしね。。


でも、わたしはやっぱり根本的に小選挙区制がダメな気がしてしまいます。。じっさい地方では候補者の選択肢がないってことはままあって。
うーん。「自民党を応援し続ける人たち」というのをちょっと「理解できないもの」に仕立てあげすぎてるのかもなあ。
『ネット右翼になった父』のなかに、「様々な分断の主因は、『相手の等身大の像を見失うこと』」というフレーズがあるそうで、今日見て、なるほどなと思いました。すいません、最後はもう独り言みたいになってしまった。もうちょっとよく考えてみます。
いつも相手していただいてありがとうございます。


何書いたかあまり覚えてないので、矛盾すること言ってないか心配になります😅

おっしゃるように、小選挙区制は、死票が大量に発生し、自民党が僅かな得票数に見合わない多くの議席を獲得する為の歪んだ仕組みです。

日本の国会議員なんて連邦制の代表でもないのに、一部地域の人間に倍以上の選挙権が与えられていることがおかしいです。私はそもそも議会制間接民主主義の特徴である政党政治が嫌いですが、とりあえず日本の国政選挙は全国統一区の比例代表で良いと思います。

「違憲状態」などという言語破壊をしてまで立法府を律しない司法も腑抜けですし、行政と立法も一体化していて、三権分立原則が全く機能していない上に、第4の権力たるべきメディアも政府広報化してますので、圧倒的大多数の市民が自律的に考えて自民への反対票を入れない限り交代させられません。


おっしゃる通りだと思います。
積極的自民党支持層がここまで多くないのに選挙結果がああなるというのは、選挙制度の問題が大きいですよね(だからこその野党共闘だったわけですが…)。しかも公認選びで党内派閥を弱体化させて独裁を許してしまう。

そのうえで。なにが書きたかったかというと、自分が「それでも自民党に投票する人」を必要以上に悪魔化しちゃってなかったかなあという反省、でした。Twitterではそういうツイートよく見かけたし、ちょっと引きずられていたかなという気がしたので。。。東京暮しが長くなりすぎて、ちょっと忘れかけていました。自分が実家の選挙区に投票権持ってたらと考えたときに、その葛藤がわからないでもないというか。突き放して見すぎていたかもなと。あくまで、自分が、です。地元のおじさんを、わたしが、さっぱり意味が分からないって簡単に言っちゃいけないなって。話が通じないだろうとはなから決めてかかっていないか自問するようにします。
自己完結な連想ゲームで話してしまってすみません。ふだん政治の話をがっつりする相手がいるわけでもないので、簡潔に書く訓練が足りないです。。


ああ、「相手のことが理解できないから[馬鹿|無知|幼稚|未熟|邪悪]だと決めつける」というのは、誰しもが陥るというか、対話する必要がなくて自分だけで完結できて一番楽にできることなので、私もよくやってしまいます。。。

私が鳥籠サイトで右寄りの人達と延々とやりとりしていたのには、ろくに対話もせずに「〇〇はバカだ」みたいにごっそり切って捨てる左派への反発もありました。

まあ、延々と対話して相手の立場を理解しようと努力した上で、「コイツは〇〇だ」となる場合もあるのですが、それは手順を踏んだある意味正当な評価だと思っています。

選挙の葛藤については、以前にどこかで書いた気がするのですが、選挙を対戦型団体スポーツ観戦みたいに考えてる人が多すぎる気がします。政治において「特定の政党や政治家を支持する」という考え方は、スポーツ観戦において「特定のチームを応援する」の類似系で、その枠組みに囚われている限り、「野党対与党」みたいな単純2項対立から抜け出せません。

もっと長期的視点で、「どうやったら民主主義が前に進むのか」という、もう一つ上のレイヤーで考えて投票しないと、目の前の候補者選びで葛藤することになってしまうのだと思います。


むかしは自民党と共産党の候補者しかいない、という地方選挙が今よりももっと多かったかな。子どもながらに不思議でした。落ちると分かってるのになぜ毎回出るのかと。
知人が地元で商店会長をやっていて、自民党の市議、県議を応援している(国政選挙でどこに投票してるかは分からないですが)。彼らの仕事と生活に直結している問題を、軽々しく利権とは言えないんですよね。
また、政策的に共産党に近くても、田舎で目立つ選挙運動ができないとか、デモなんかもってのほか、どうせ死票になる無力感、こういうの何十年も味わってると、投げ出したくなる気持ちもよく分かるのです。
地方自治は民主主義の学校とはいうものの、政令市や都道府県レベルになってしまえば地元有力企業/者の支援いかんで結果が決まってしまうことも多く、平成の大合併でそういう傾向はさらに強まったかもしれません。

でもでも、なにがあっても自民党に入れちゃダメだーという「みんなの共感」がなければだめで。きびしーなー。。


いちばん初めの話に戻りますが、選挙運動やデモなどがさかんな国をみるにつけ感じる、日本の無抵抗すぎる受忍体質、支配されている方が楽と自分の頭で考えないほうへ流されていってしまう傾向の強さも、「国民性」などではないならば。ほんとに教育と成功体験の積み重ねで変わっていけるものなのかな。。。それをまずやってみないうちに疑っちゃだめですよね。はい。。


自分の生活に直結しているという意味では、市議や都道府県議選挙と国政を比較すると、権力も一極集中で上意下達な構造なので、国政の方がより直接的に財布や生活を直撃する気がします。今国会でやってる予算審議も、統治構造や交付税の仕組み等を考えると、納税額や予算配分はほぼ全て国会で決まるようなものですし、行政サービスの劣化や富の再分配や経済政策や外交、戦争の直接的な影響等を考慮すると、地方選も含め自民党という組織を弱体化させることが大多数の人にとって利益になるのですが、そういうふうに俯瞰的、長期的に考えるように訓練/教育されていないので、どうにもなりません。。。

国民性については、海外で育った/学んだ「日本人」の多くが、日本人っぽい思考をしなくなることからも明らかなように、教育でいくらでも変えられますし、右派が大切だと言い張る「伝統」や「日本の心」やアイデンティティや価値観なんかも、全くもって普遍的なものではなく、多くは明治以降に始まった風習だったり、下手すると昭和中期以降、ここ数十年の間に定着したようなものだったりと、単なる幻想だったりしますので、やはり教育と啓蒙が鍵だと思います。


もうみんな忘れちゃったかもしれませんが、コロナで、居住地の首長にまともな人を選んでおかないと命に関わるって実感したと思うんですよね。これが政治の面で唯一コロナ禍のもたらした良いことだったんじゃないかと思っています。

田舎の議会広報も読みますが、新しい火葬場をどこにするとか、学校のトイレを洋式にしようとか、どの議案にだれが賛成したのかも丸わかりで。たいした予算はないけど、生々しい「生活に直結」感があって、顔もプロセスも見える。とても「面白い」ですし、民主主義を実践する貴重な場だと思います。本来は。(うちの地元、見てる限りではわりとまともなのです)

でも、全国には議員のなり手がいなくて無投票になる自治体も多いですし、長期的に見て自民党にいれてはいけない、という視点があっても、それだけではどうにもならない、という閉塞状況があります。二択の葛藤もできない。地方を壊しつくして、残るのは自民党なのかも…

ここ数年、(教育啓蒙の意味で)地方選挙の価値を再認識したんですけど、同時に、統一教会が地方議会にも影響を与えてることも分かってきて、あーもうーー!(怒)となりました。やっぱり、自民党が悪い。

国民性については、納得です。わたしは日本しか知らないからほんとダメです。


ああ、確かに首長選びは影響大きいなと思いました。でも結局、どれだけ優秀な首長を選んでいたとしても、検査増やすのも限界あるし、医者や看護師も増えないし、生活保障もないし、円安は止められないし、電気代もどうにもならないしで、国政における自民党の傍若無人に対しては、ほんのささやかな抵抗にしかならない、ということも明らかになったと思っています。

それって例えるなら、今現在、Twitter社の中で、機能のごく一部、自分の手の届く範囲を一生懸命デバッグしたり最適化してるエンジニアみたいなものだと思います。作業自体は面白いし、自分のためにもなって、達成感もあるけど、組織全体に与える影響は限られていて、舵取りは一切できないし、沈没も止められない、みたいな。しかし国は会社と違って簡単に転職できないので、船と一緒に沈んでいくだけという。まあ、その反対にトップが優秀でも、下のポカで船が沈むこともあるのでどちらも大事なのですが。。。

あと、首長や地方議会がどれだけ優秀に見えても、自民党に所属している限り、「どこの地域に生まれたか/生活しているか」で変わっても良い内容、つまり地域の特性とか自治体の自由裁量みたいな範囲を超えた、普遍的な権利をガンガン侵害してくる中央自民党と、理念では繋がっているわけで、個別の政策や対応を評価はしても、決して信用してはいけないと思っています。

集団全体で見ると国民性とか民族性みたいなものは確かにありますし、それはとても強固で変えるのには時間がかかるのも事実だと思います。しかし、そういうのを乗り越えて普遍的な人権意識に置き変えてきた国が多数あることも事実なので、「日本人」が得意な輸入->コピー->プロセス最適化を、工業製品やコンテンツ以外にも適用すれば良いだけでは?と思うのですが、変えたくない、変えられたくないと思ってる人が多い気がします。


自民党を擁護してないことは大前提として。ちょっと「地方」をかばってあげたい気持ちになっているので続けます。。

具体的な話をいろいろ考えてましたが、あえて例え話にのっかるならば、自分と仲間がいる場所がまっさきに沈まないように必死で水をかき出してる、って感じでしょうか。それが船本体を延命することにつながるのも分かってるけど、やめたらすぐみんな死んじゃうので。
船が沈没しないように立て直す(または新しい船を建造する)、かつ、いま溺れかけた自分たちが生き延びる、をどう両立できるのか。
まだ水が入ってきてない場所の者たち(都会もん)が新しい船をまず作るべきじゃないのか、などと妄想しました。必死さに欠けているのは沈むのに気づいていない都市在住者のほうではないのかな。また、いっそさっさと沈没したほうが(乗り換えたほうが)いいんだと思っていても、いま水をかき出すなとは簡単に言えないです。

地方には、その土地の人に届く言葉なり方策なりが、切実に必要なんじゃないのと思う、というか、わたしがそれを知りたいんですよね。

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変えたくない、変えられたくないと思ってる一部の人が、これこそ不変(かつ、普遍)のものなのだとアナウンスし続けてるって感じですかね。わたしもそれを摺りこまれてると思います。

私はド田舎育ちなので、田舎の閉鎖性や硬直性は嫌というほど身に染みてわかっているつもりです。

「田舎者に届く心地いい響きの言葉」みたいなものを上手く着飾って大嘘ついてきた自民党すら超えられない、メッセージ性の欠如が日本の野党の不甲斐なさの一因なのですが、根本にあるのはやはり「どちら側につくか」という命題自体が間違いなのであって、「自分達のリーダーを育てる」という視点が圧倒的に欠けている、ということが大きいように感じます。

与党vs野党だけでなく、田舎vs都会みたいな地域的分断や、団塊vs氷河期みたいな世代間分断も、与党自民党を利するだけで、いつまで経っても健全な議論にならないようにするための、既得権力による悪意ある議題設定が大元にあるように感じます。当然、地域格差や世代格差は大きな問題ですし、対処されなければならないのですが、権力側によって分断に利用されてしまっている面が大きいように思います。

「野党がだらしないから」といって与党に投票し続ける、という行動がどのような結果をもたらしてきたかを考えたら、「どのような投票行動がより質の高い有能な政治家を生み出すことにつながるか」という長期的俯瞰的な視点を忘れずに投票する人を増やすしかないと思っています。いま必要なのは、日々の生活が苦しい中で、目先の利益に惑わされず、長期的にどうやったらこの現状から抜け出せるか、という視点だと思います。

野党がだらしないと感じる -> 自民党に投票する -> 自民党があぐらをかいて反省せず衰退と腐敗が進む -> 野党側はいつまで経っても実戦経験が蓄積しない -> 永遠に与党を担える政党が成長してこない -> 振り出しに戻る

、みたいな負のスパイラルというか、無限の下り坂ループを抜け出すためには、最低でも2大政党が交代で政権を担うようにし、可能であればもっと分散させて権力の集中と腐敗を防ぐしかないのですが、こういう話が通じる人はほとんどいません。


ここで欠けているのは、やはり主権者としての主体性だと思います。「放っておいても、勝手にスーパースターみたいな政治家が育って大胆な改革をして日本を救ってくれる」みたいなことを他力本願で期待していても、そんなことは滅多におこらないです。今の日本はそういう人材の芽を摘むようなことばかりしているので尚更です。そういう幻想に市民が乗せられた結果が、小泉や安倍のような矛盾した「改革」を叫ぶ、既得権益ネオリベ保守の台頭だと思います。

「苦しいから直近の利益や生存に不可欠な行動を最優先にする」のは、ある意味当然のことであるのですが、そのやり方で国政を続けるとネオリベ的な短期利益追求の焼畑農業政治になってしまうことは既に明らかだと思います。ですので、そういうネオリベ勢力が自己責任論を振りかざして予算を削り、人や教育や技術や文化への先行投資を怠ってきたので、衰退しているのも、これまたあまりにも当然の結果だと思います。

金の卵を産むガチョウに餌をやらないどころか、ガチョウを食べてしまってさらに将来のガチョウまでローンで買って先食いしているような状態です。

一度「焼け野原」になった方が良いと言う革命派の左翼言論人もよく見かけますが、焼け野原になる過程で多くの死者がでることや、そこに自分は含まれていないという前提が透けて見えるので、気持ちはわからんではないですが、賛同はできません。


変われない多数派(守旧派)の悲哀を擁護していると思われたくはないのですが、そこはよくよく気をつけます。かれらが嘆くよりずっと前から、わたしを含む「かれら」に踏みつけられていた人たちがたくさんいたのも今は想像できるので。

自民党に入れてたら自分の子を戦争に行かすことになるよ、的なことを、地元でも東京でも、言える相手には(オブラートに包みつつ)言っているのですが(だからアカだとか言われるのですけど上等です)、はっとした顔をする人、ものすごい嫌そうな顔する人、いろいろです。

去年の杉並区長選は、有権者側が主体的に動いて候補者を立てて勝ったというふうに見えて(内実までは分かりませんが)ちょっと感動しました。
候補者がある陣営からたてられた時点ですでにこちらの選択肢は限りなく狭められているわけで、自分たちで候補者を見つけるところから始めなければいけない、というごく基本的なことを見せつけられました。
わたしが地方選挙の価値を認めるのは、それが国政選挙より圧倒的にやりやすいからです。(地元でもそういう小さな事例があってそれを希望だと思いました) 有権者も政治家もそこから経験つんでいくしかないので。

深追いしすぎた気もするので、打ち切っていただいても構いません。長々ありがとうございます。


話がどんどんと逸れてしまって申し訳ないです。。。

将来のリーダーと、それを支える運動を育む場所としての地方選は、確かに意義があることだと思います。元杉並区民としても、最近の杉並は、過去に山田宏や石原伸晃を選んできた人々だとは思えない結果になっていて、その点では希望が持てます。

私が今住んでいる地域は、かつては社会党が強かったところなのですが、最近は保守系の軽薄な政治家ばかりが首長をとるようになってしまい、明らかに市民の無関心・右傾化・ミーハー(死語)化が進んでいるように感じます。。。

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とんでもない、逸れてないですし、とっちらかって冗長にしちゃうのいつもこちらなので。。あと、したくない話をさせてしまってたらごめんなさい。

まあ、杉並区は数少ない成功例で、徳島のリコールや大阪の住民投票運動なんかがあんなひどい終わり方をしているのを見ると、暗澹たる気分になります。。強めの利益団体があるとすぐダメになりますよね。
東京都区部は注目度低いわりに首長がやれること大きいので面白いですが、昨日荒川区が幼稚園~中学校までの給食をすべて無償化すると発表して、お、やるじゃんと思ったら区長の経歴がわりとゴリゴリで、笑ってしまいました(笑うとこなのかどうなのか)

おっしゃる通り、国政でしか変えられないことのほうが当然多いわけで、でもそれに対して影響力を与えられる手段がほぼ選挙しかない状況がつらすぎて、数少ない地方選挙の成功例にかすかな希望を見出しているだけ、と言えなくもないです。

続きはおってDMにします。みょうな緊張感が走るので。。そしてここではひょっとしてDMも500文字?すぐ超えてまうw

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