ところで、10世紀末にボローニャ周辺で何故ローマ法(ユスティニアヌス法)が「再発見」され、法律家によって加工しながらヨーロッパ各地に輸出されたのでしょうか?
ここで、ローマ法がイスラムの遺産だということを思い起こしましょう。10世紀はユーラシアの東西で宋朝とアッバース朝によって「グローバル経済」が成立している時期。このルートを通って、羅針盤・黒色火薬・活版印刷も中国から西欧に伝えられる。
またイスラムは元来都市商人の宗教であり、この時期には「神学者」は存在せず、「法学者」がトラブルに調停・仲裁にあたる。そのためのルールも発達します。
このイスラムネットワークにとっても、重要なものの一つが地中海遠隔商取引でした。
欧州史では11、12世紀は商業の復活の時代と語られれますが、当時のユーラシア世界経済の西の末端に参加している状態に過ぎません。
イスラムとの接触の中で、アラビア数字、医学、哲学(アリストテレス)、法学、そして法律家を大学で養成するシステム(マドラサ)などが北イタリア(ボローニャ・バドヴァ)、南イタリア(ナポリ)などに導入されたと推測されます。
このローマ法の私法的部分がイタリアから南仏に広がると同時に、組織法として変形されて教会法へと発展していったと考えられるのです。
ことほど左様に、「欧州」の形成にはイスラム文明が混交している。
であるから、今の欧州の一般言説のように、パスレティナ問題や中東問題一般を「文明の衝突」とするハンチントン的なフレームは議論を「トンチンカン」にする効果しかもたない。
日本でも「イランが核兵器をもっている」と思い込む御仁さえいるくらいである。実際は、中東ではイスラエルだけが核兵器をもっている。
結局の所、問題の99%は「リベラルな国際秩序」を自称する欧米帝国主義と中東地域の「力」関係に拠る。
しかし、欧米言説では最近ようやく「植民地主義 clonialism」という言葉は使用するようになったが、「帝国主義 imperialism」の解釈格子を使うことはまずない。
また欧州のリベラルは19世紀の半ばになってようやく「奴隷制」廃止に踏み切ったが、それは同時に「奴隷制」が残存しているアフリカ・中東を「文明化」する大義名分となった。ここは注意が必要。
ところで、現在の中東情勢を「逆ハンチントン」的になんでも「文明の衝突」で説明しようとする京都の大学教授がいるが、これは明らかに誤り。
たしかに欧米メディアのエルドアン叩きは操作されたいるが、さりとて、エルドアン側の主張を鵜呑みにはできないのである。