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 権左武志「ヘーゲルとその時代」を読む。

 権左さんは私より10歳上で、この世代には、すでにドイツの研究を反映した「リベラル・ヘーゲル」像が導入されていた。

 これは、18世紀研究ですでにポーコックの視点が導入されていたことと軌を一にする。

 その点では、文学部哲学科のヘーゲル研究は「遅れ」をとったとも言えるだろう。それはポーコックの導入においてもしかり。

 私の世代は、ドイツ経由の「リベラル・ヘーゲル」やポーコック・パラダイムを相対化することが課題となる。

 ヘーゲルに関しては、ドイツとフランスで大きく扱いが異なる。

 仏ではWWIまではヘーゲルは事実上「抑圧」され、主にカント。サルトル、メルロー=ポンティなどはコジューヴを横目に見ながら、「精神現象学」に重点をおいて自ら読みこなした。J.バトラーの学術面の業績はこの時期の「仏におけるヘーゲル導入」である。

 「リベラル・ヘーゲル」に戻れば、英語圏ではI.バーリンなどヘーゲルをルソー・ロマン主義・全体主義に括る扱いが主流。これは時代に即してテクストを分析すれば「誤り」であることは明白。ロマン主義者のほとんどはカトリック回帰したが、ヘーゲルはプロテスタントを擁護。

ただしヘーゲルは「リベラル・ナショナリスト」であることは動かない。

 

 ではバーリン(1909生)やポパー(1902生)のヘーゲル批判は全くの「言いがかり」だったのでしょうか?

 これは同時代的にはそうとも言い切れません。バーリンはラトヴィア・リガ、ポパーにウィーンのユダヤ人で、英国に移住。当然両者にとってナチズムとの対決が思想的課題となる。

 ドイツは19世紀末から1929年まではカント学派が主流。ところが、世界恐慌以降、「新ヘーゲル学派」が急速に台頭、ナチスのイデオローグとなります。ナチスはユダヤ系学者(カント派)や社民党支持者を大学から放逐、そのポストに新ヘーゲル主義者が収まり、「新秩序」論を鼓吹。

 またシュミットはWWI直後からワイマール体制を「保守」の立場から批判し、大統領独裁の正当化プランを作成したりしたが、ナチスが政権を獲ると、すぐさま入党。

 逆に排除された大物としては、社民時代司法大臣を務めたラートブルフ、WWI後オーストリア共和国憲法案を起草したケルゼンがいる。

丸山眞男は同時代的に左派へ―ゲリアンとして、ケルゼン、ラートブルフ、シュミットを並行して原書で読んでいた。またオックスフォード滞在中はバーリンと親しくしていた。

であるから、20世紀フランス思想以外の大抵のブロブレマティークは、丸山のテクストに「再発見」できるのである。

 
 

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