日本では一般に「法治主義」と「法の支配」が互換的に使われる傾向があります。
実際には、法治主義は大陸法的、「法の支配 rule of law」は英米法的概念です。
法治主義とは、憲法を頂点とする実定法群によって、国家権力の行使に枠がはめられ(公法)、また私人間の紛争も実定法に基づいて解決される(私法)と定義できます。英米法には公法・私法の区別はない。
英米的「法の支配」の特徴は、実定法以上に慣習、とりわけ判例が重視されること。
また「法の支配」・「立憲主義」の典型とされる英国では成文憲法はない。ただし、米国は独立革命の際、保守派が中心となって憲法を制定したので、ここは英国と異なります。
また仏では立憲主義より人民主権がシンボル上は優位に立つ。
有名な「人は生まれながらにして平等である」の文言が含まれる独立宣言はT.ジェファーソンをはじめとする「急進派」=共和主義者つまり少数派の主張でした。
ただ、ここで決して「平等主義者」ではなかったJ.ロックの思想が1世紀を経て転換されたことは興味深い。
それにしても、安倍晋三は、当初「法の支配」を連呼、次に「立法府の長」と詐称、最後には「森羅万象を司る」と譫言を言い始めた。いくらなんでもこれは悪ふざけが過ぎた、と言えましょう。
米国の独立革命の過程では、T.ジェファーソンを代表とする「急進派」とA.ハミルトン、T.マディソン、J.ジェイら「フェデラリスト」(保守派)の駆け引きが行われます。
保守派がフェデラリストと言われるのは、匿名連作パンフレットが「フェデラリスト」というテクストであったため。この時の著者名はローマ共和制時の人物名であるパブリアス(Publius)。
「建国の父」達が米国をローマ共和制の反復として捉えていたことを示します。またローマと同じく保守派は「帝国」志向。
建国の父たちは「民主政」には反対。「多数派の専制」と理屈をつけるが、真の動機は、財の再配分を恐れたため。同時に保守派は中央集権制を主張。
T.ジェファーソンら「共和主義」者は「ローマ共和政」のイメージを共有するも、より自治民主主義志向。
最終的には保守派優位の妥協で終る。白人男性普通参政権は19世紀半ばのA.ジャクソンの時。ただし、それは先住民の征服と黒人奴隷制の拡大を伴った。当然女性も排除。この時期にトクヴィルは米国を訪れ、「アメリカン・デモクラシー」を執筆。
奴隷制に関しては、ジェファーソンは個人的には解放論者ではあったが、これは政治プログラムとしては全く受け入れられず。これに失望したT.ペインは米を去り仏革命に参加する。
QT: https://fedibird.com/@yoshiomiyake/111882763867236204 [参照]