「極東委員会(FEC)」とはWWIIにおいて、日本と交戦した、米、英、中、ソ、オーストラリア、フィリピン、仏など11カ国で構成される組織で、1945年12月に設置され、指揮命令系統としては、マッカッサーを上位に置かれた。
この内、ソ連は当然として中国、オーストラリアは強く「天皇戦犯論」を主張。また米政府の1946年3月の「覚書」は「共和国としての米国は、もし日本国民(people)が望むならば共和政体の政府が創られることを支持する」としていた。また国務省は「日本人に限定せず、すべての人間に、基本的市民権が、司法権において保障されること」を指示している。
この「日本人以外の人権」が日本政府によって「抹消」されたことは前述の通り。
天皇に関しては、この時点で最も可能性があったのは昭和天皇の「退位」。これは天皇自身も覚悟していたし、近衛をはじめとする重臣グループもその意向だった。欧州では伊では選挙によって王制廃止、ベルギーは国王退位によって王制は存続させた。
こうした情勢からして、天皇を占領統治に利用しようとするマッカーサーは、極東委員会・国務省の先手を打って、緊急に憲法作成のイニシアティヴをとる必要があった。
ちなみに英語文献ではGHQではなくSCAPと書かれるが、実質は同じものである。
敗戦後、今の日本の基礎が連合国によって作られていく過程をこの歳になるまで、自分がほとんど知らない、学んでなかったことを後悔してます。過去を知らずに今は理解できないですからね。
それで昨年暮れから、東京裁判を扱ったこの本を読もうと思っているのですが、なかなか取り掛かれなくて。電子書籍なら、即座に読める時代なのに。
訂正・補足
「マッカーサーより上位に置かれた」
実際、FECは3月6日の憲法草案発表から、時期尚早と憲法制定は時期尚早、と警告し続け、米国務省もそれにむしろ同調したが、連合国軍最高司令官(SCAP)であるマッカーサーは、これを無視、最後の帝国議会(女性参政権)を招集して、これを実質的に憲法制定議会とした。
マッカーサーは極東委員会、国務省、合衆国陸軍の意向を無視して、憲法制定のの既成事実化を推し進めた。
何と言っても、当時の米国陸軍参謀総長のアイゼンハワーはウェストポイントのマッカッサーの10年後輩であり、しかもマッカーサーの陸軍参謀総長時代、フィリピン軍事総督時代の10年間副官を務めた間柄(関係は必ずしもよくなかったけれども)。
極東委員会米国代表のマッコイの至っては少将であって、マッカーサーは完全に格下に見ていた。
つまり、日本占領にあたってマッカーサーは「シビリアン・コントール」に必ずしも服しておらず、「青い目の大君」と呼ばれたように、いわば「君主」として君臨していた面もある。
このあたり、E.サイードの専門であるJ.コンラッドの『闇の奥』と比較しても面白いかもしれない。
ただし、マッカーサーは帰国後、この振る舞いの「つけ」を払うことになる。