さて、ここで登場してもらった早稲田の人たち、ほぼ私と同年揃いだったが、文学部院生つながりで『占領と平和』の著者、道場親信さんとも、私は何故か学部時代に知り合っていた。
道場親信さんは1967年生れ、日本の社会運動史研究を担う逸材だったが、惜しくも2016年癌にて早逝された。
道場さんとは90年代後半、酒井隆史さん、大内裕和さん達と「80年代研究会」でお会いすることも多かった。実際、今回の『現代思想』の対談は完全に四半世紀前の「80年代研究会」の延長線上にある。
ただ、上に書いた早大フランス哲学研究室の連中との付き合いはまた別で、時に日本列島を横断する「タイフーン」(道場さんの命名)に巻き込まれ、共に「困った」経験をしたこともある。
お互い就職をしてからは電話で時々話す程度のつきあいになったが、今でも覚えている会話がある。
道場さんが40を超えた頃「僕らもこうやってなんとか30代を行き延びてきたね」とポツリと言ったのである。私と道場さんは、専門も違うし、スタイル的にも外から見ると全く違う。それでも、30代を「生き延びた」という感覚は同じと思っているのだ、とその時は驚いた。
まさかその後数年で道場さんが癌で亡くなられるなどとはその時には夢にも思わなかったのだけれども。
レヴィナス研究の友人は当時の文学少年の例にもれず、柄谷行人をよく読んでいた。現在、文化人類学東大教授の方は、柄谷を嫌っていたように思う。
いずれにせよ、80代の思想シーンが、「ポストモダニズム」とサントリー財団による「戦後民主主義」の挟撃の構図であり、大衆消費社会の完成によって、日本の言説はほぼそれに包摂された、というテーゼは、1993-3年頃には3人の間で共有されていたと思う。
このテーゼを私は、「80年代研究会」にもちこんだわけだ。参加者には大内、酒井、渋谷望、道場の各氏に加えて、カンサンジュンさん、科学哲学の金森修さんが常時参加していた。
この時には、文化人類学のWはもう哲学・思想から撤退していたし、もう一人の方は大学から立ち去り始めていた。
この友人はなかなかの名文家で、学部2年生の時、S.ベケットの『クラップ最後のテープ』観劇の感想を長い手紙で送ってくれたのだが、これは素晴らしいものだった。
私も数年遅れで、ベケットの同じ舞台を見たのだが、これもやはり感動した。後年、世界的にも高名なベケット研究者(現東大駒場教授)に聞いたところ、「あの芝居はベケットを凝縮したものだよ!」と言われて納得した次第。
いずれにせよ、80代論、30年を経ても有効であり続けているようだ。
「早稲田の友人たち」
酒井さん、道場さんと私を含めたフランス哲学研究室の友人たちとは3学年しか違わないのだが、同じ左翼でありながらも「ハビトゥス」の違いがはっきりあった。
私は早大ではないので当然かも、だが他の友人達もそうだった。これは酒井さん、道場さんが、学生運動における早稲田ノンセクトラディカルの最後の位置にいたことに由来するのでは、と私は考えている。
とくに酒井さんは「ダメ連」の人たちとも親しく、「あかね」という文学部キャンパスの近くの「飲み屋」によく集っていたようだが、私はアルコールを嗜まないこともあり、多分つきあいで1,2回行った程度である。
そこにはあの「すが秀美」も出入りして、道場さんのことを「ソ連のスパイ」などと呼んで絡んでいた(もう、その時ソ連はないの!)。であるから私はスガの書いたものなど一切信用しない。
フランス哲学研究室には、アルチュセール研究(この人も癌で早逝した)、スピノザ研究(英独仏羅習得)、ドゥルーズ研究、レヴィナス研究などの友人たちがいた。私は修士の時は何故かこの研究室のベルクソン『物質と記憶』の原書購読に出ていた。
みんな駒場の「神々」たちより遥かに優秀だったが、大学のポストにつけた人はいない。つくづく世間はアンフェアに出来ているものだ。