「マクロン、人種主義者の馬脚をあらわす」

 仏大統領のマクロンは、1977生という若さもあり、これまで「国際外交」に関しては、フランスの帝国主義・植民地主義の「過去」についての「謝罪」と「責任」を従来の大統領と比較すると、「積極的」に認めてきました。

 しかし、国内の人種差別に関しては別。アラブ系の少年を警官が射殺した事件を機にパリ中心に起こった暴動を「SNSのせい」にして、「保護者」に監督を要請するなどのパフォーマンスをしています。

 これは米国のBLMが「SNSのせい」と民主党系大統領が主張するのと同じ(米国ではさすがにそれはないが)。

 背景には、すでに数十年以上続いているアラブ系男性への構造的排除、警察による日常的弾圧・嫌がらせ、があります。

 2005年のサルコジ政権の際、同様の事件でフランス全土が「暴動」になったことがあります。

 この時はさすがに「SNSのせい」とは誰も言わなかった。

 歴史を遡れば仏警察、1961年パリ在住のアルジェリア人の平和的デモを「攻撃」、多数をセーヌ川に突き落とし、1万2千人を逮捕。少なくとも120人以上を虐殺。

 この時の警視総監はナチスの「ユダヤ人狩り」に積極的に協力したM.パポン。しかし、この時の「アラブ人殺し」は不問に付されました。

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「記憶の非対称性」
 
 1961年の仏警察・警視総監M.パポンによる「アルジェリア人殺し」は、アルジェリア人や仏のマグレヴ系の人であれば、誰でも「知っている」。

 ところが、近年まで(でも)「白いフランス人」は、この事件を知らない人が多かった。

 植民地主義による、この「記憶の非対称性」、これは日本と朝鮮半島の関係にかなり相似的。

 1961年の事件に関して言えば、仏側から見れば「独立」を容認していないので、「ムスリム系フランス人」。

 であるから、ムスリム系市民にだけ「夜間外出禁止令」を出し、それに対するパリにおける平和的抗議デモ数万人に対して、仏警察は攻撃を行った。

 「保護国」であったモロッコ、チュニジアと違い、アルジェリアは1830年に仏によって植民地化され、法行政的には「フランス」と分類してきた。

 (ちなみに「リベラル」がやたらとありがたがるトクヴィルはアルジェリア征服を賞賛。日仏のトクヴィル研究者、この点をほぼ「排除」している。)

 100年以上「フランス」として、現地住民から収奪した土地に仏・西から移民を導入。いわば「満州国」が100年続いて「独立」問題に直面したようなもの。

 カミュのようにアルジェリアで生まれ育った人間も多い。従って、事態が「戦争」にまで縺れ込んだ。

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