収監(正)
しかし、徐・加藤・ノーマさん「危機の時代の教養」と扶桑社のハイデガー本に象徴される「教養」ほど無縁なものはない。
ちなみに少し真面目な話をすれば、両大戦間の中間階級出身の大学生たちは、極右支持多数だった。これは独仏だけでなく、ポーランドなど東欧でも同じ。仏でもミッテランなどは極右団体「火の十字団」の重要メンバーだった。
ハイデガーの「非本来性」から「本来性」への移行は、「単なる俗人」から「高見の存在」への移行と並行するので、現在の高学歴ネトウヨのように「高み」から「大衆」を蔑視することになる。
そして最も「蔑視」されるのは、当時の文脈上「ユダヤ人」となる。ハイデガー個人も確信犯の「反ユダヤ主義者」だった。この点に関しては今日では異論の余地がない。
それでいて妻に感づかれるまでユダヤ人のH.アレントと「愛人」関係に続けるのであるから、ハイデガー個人の「倫理性」は控えめに言っても「疑わしい」。
また「現象学」の方法の師であるフッサールが「ユダヤ人」であるということで大学を追放される際も助ける素振りさえしないのだから、あまり友達にはなりたくない男だ。
ただハイデガーも、テクストから可能性を引き出すことはできる。最もそれはサルトルで「終わった」けれども。