サブカルチャー文化論とポストモダニズムの融合ー宮台真司から東浩紀へ
宮台氏が、「ミソジニー」、「左翼ファビア」の権化のような人物であり、またこの件に関して、ここ四半世紀「ブレずに」暴言をお吐きになっているのは、明晰にして判明な事実。
と同時に、朝日文化面に象徴されるように、文化産業において宮台氏のプレゼンスが増し続けていることもまた疑いようもない。
宮台氏の主張自体を普通に検討すれば、ほぼすべて「間違っている」か、ごく僅かに「常識」でわかること、これも自明。
従って、問題は文化産業のハビトゥスです。
以前、私は文化産業における「ポストモダニズム」の「社会学化」という概念を投稿しました。
宮台氏は、まさにこの方向を凝縮した人物と言えます。
宮台氏と同世代の浅田彰は一応「左翼の振り」はできました。また「批評空間」、「ミゾジニー爆発空間」ではありましたが、一応海外の左派文化の翻訳・紹介あり。
しかし、「社会学化」と共に日本のポストモダニズムは「左翼の振り」をかなぐり捨て、また日本語空間へと自閉していく。
宮台と浅田を「兄」とする東浩紀が、「詐欺師」として、文化産業の寵児となり、遂には三浦瑠麗と並ぶ「ネトウヨ」へと進化(退化)していったのは、この流れに掉さすものです。
QT: https://fedibird.com/@zpitschi/109770121707941457 [参照]