世界で何が起ころうとも月曜日は憂鬱。ジェリーキャットのぬいぐるみを延々とスクロール、微笑む uramaki sushi のぬいぐるみ(『Silly Sushi(シリースシ)』シリーズ)下記の説明文を読み、「寿司のぬいぐるみが座る事」について思いを馳せます
>こちらは、座るタイプのぬいぐるみです。自立はしません。
げっ。国立国際美術館のフェリックス・ゴンザレス=トレス展、中止なの。。。。
ホー・ツーニェン「T for Time:Timepieces」の中のひとつ、完全に帝国の時間に同期された「無題(パーフェクト・ラヴァーズ)」の前で、なんて恐ろしい膝が崩れそうだ。でも来年展示あるしなー。とか立ってぐらぐらしていたのに
https://www.facebook.com/reel/762047819181143
パトリシオ・グスマンの新作(12/20公開)、チリのフェミニスト・アート・コレクティヴ/アクティビスト集団ラステシス(Las Tesis)がかなり出ているよう。
https://www.uplink.co.jp/watashino/#sprechchor
世界も警察も注目するチリのフェミニスト・コレクティブ Lastesis[インタビュー]
https://note.com/kiwama/n/n105ebc82f388
パリス・ヒルトンの回想録翻訳発売プロモーションで「ウチらの最強Girl!!パリスLove」のような表現に触れ、統治不能社会にパリス・ヒルトン出てこなかったっけ…?と思う。世代で区切ればいちおう共有可能な「ウチら」のフィーリング
コレクション展「印象派からリヒターまで」、直近で読んだ本の影響でドガのリラックスしたパステル画『ルアール夫妻の肖像』は暗い絵に見えた一方で、ピサロの『エヌリー街道の眺め』は解放された幸福な気分に充満したような大気をのんきに眺めました。
リンダ・ノックリン『絵画の政治学』、8章「ドガとドレフュス事件―反ユダヤ主義者としての画家の肖像」によると、ドレフュス事件を機に反ユダヤ主義に傾倒したドガと同じく“過激な反ドレフュスであった”(ちくま学芸文庫P.310)旧友ルアール一家。とある。
https://www.polamuseum.or.jp/collection/006-0508/
快晴の箱根に陰気に着。いい天気だ紅葉の山も美しい
下のふたつ、展示期間が被っている(行くかワッホイワッホイ)
大阪中之島美術館→
Space In-Between:吉川静子とヨゼフ・ミューラー=ブロックマン
2024.12.21 – 2025.03.02
西宮市大谷記念美術館→
戦後西ドイツのグラフィックデザイン展
Back to Modern – Graphic Design from West Germany
モダニズム再発見
2024年10月26日(土)〜2025年2月24日(月・祝)
南米クイア・シーンの若くポップなスケッチを想定していたら、死者でいっぱいの100%喪の映画だった『アンヘル69』、性急にテキストが行き交った結果オンライン・アクティビズムの破壊的な効果について考えざるを得ない追悼の日、これらを通過して本の積み山から『感情のアーカイヴ トラウマ、セクシュアリティ、レズビアンの公的文化』を引っぱり出して読み始めました。面白い。
岸まどかさんのトークショーで配布された、クィア・スタディーズとりあえずこれは読んどけリストに入っていたものです
ジュマーナ・マンナーア『採集する人々/Foragers』とヒト・シュタイエルの映像作品を対決させたレビューが検索上位に出てきた。翻訳機能を使って読みます(AIトンチキ翻訳が少なくありますように。ってああ矛盾の塊です)
「Hito Steyerl vs. Jumana Manna」
https://artontrial.com/hito-steyerl-vs-jumana-manna/
11/24-26。ベット・ゴードン『ヴァラエティ』、バーカウンターに立つナン・ゴールディン、お喋りするクッキー・ミューラーの親密さをうとうとしながら見たのち劇場を出てスマートフィンをオンにしてartnewsのベルリン新国立美術館でのナン・ゴールディンのスピーチを読んで一瞬高揚するも、サイドリンクのヒト・シュタイエルイベント辞退のニュースが目に入り(私はこのトピックの背景やアーティストの発言を丁寧に追う力を持ちませんが)国家内の統制、ドイツ国内の極右を抑制することと、トランスナショナルな反植民地運動を含むアクティビズムが対立する構図を読み取って結局しょぼくれて温かいお茶を飲みに行きました
他の場所に行く気があまりありません