ブログ記事を投稿しました: 書評:ポップ・カルチャーで/の歴史を語りなおすアーティスト、ジェレミー・デラーの活動を網羅した一冊。Jeremy Deller, Art is Magic, London: Cheerio, 2023. https://imdkm.com/archives/2351
排除言説でできた土台の上で「活発な議論」をするべきではない。目の前にその人が居たという根源的な怖れのような感覚を忘れるべきではない
うすぼんやりとした興味を継続するだけの当事者の外のわたしでも、あちらこちらに様々な移行の中止のナラティブがあることは何年も前から“知っていた”。「ディトランス」でGoogle検索をかけてトップの「ディトランスVSトランスジェンダーを再考する」が日本語で読める。ここでひとつ厚顔無恥で素朴な疑問、そんなに興味があるのに読まないの?とも言いたくもなりますが、私には内容が難しいことも事実で、最近読み直して「クィア理論における時間論」に、あっー……と気が付きました。段落ごとすっ飛ばしていた
『アニッシュ・カプーア 「奪われた自由への眼差し_監視社会の未来 」』
監視社会のワードと共に、厚塗り絵具のぐしゃぐしゃのキャンバスの塊、絵画と彫刻の両方の要素を持つオブジェの表面にあらわになった暴力性と“切れ長の暗い裂け目から赤い血が流れだす”一連のペインティングが“女性なるもの”を指し続け、ステートメントの中のカプーアの発言が何かひっかかる。私は残骸や瓦礫がとても好きですが、終わりが予見されているものの中で女性の形象で表現される官能をどうすればいいのかな
>「…私が作る芸術は、衰微が近いことを常に承知しながら、官能的なものを称賛するものであることを願っている」
壁と壁の2面が接する所からヴァギナの形を染み出させるなら、人体と背後の広範な情念の生々しい気配の荒々しい表面よりつるつるの工業的なマテリアルの方が安心(金色のやつ)。と思ったけど「…私たちは資本主義の絶えまない剽窃にあらゆる場面で反撃しなければなりません」ので表面が敵対的になったのかな。などテキストにひっぱられた連想をするなど
Anish Kapoor: Selected works 2015-2022
https://www.scaithebathhouse.com/ja/exhibitions/2022/05/anish_kapoor_selected_works_2015-2022/
『Kからの手紙』
ハイドルン・ホルツファイント
https://www.asakusa-o.com/news-from-k/
改築した古い民家に靴を脱いで上がり2階に上がる急な階段の手前で、爆弾闘争が起きた日の血なまぐさい新聞記事のコピー、地図、逃走経路などの図をみてから、2階に上がって風景の映像にオーバーラップする虜囚からの手紙の朗読を聞く。「刑務作業はハイコスト・3K労働が移転する日本国内のアジアである…」など。
獄中で読んだ本が展示会場に積んであるのだが、その中にJ.G. バラード の「女たちのやさしさ」なぜかさかさまの「スーパー・カンヌ」があった。
Tumblrにアカウント「鎌田俊彦の生活の意見」があり手紙を読むことができる。展示の新しい手紙の中で、老齢に伴うことと思われる獄中生活の困りごとと周囲の手助け、柄谷行人の哲学のノーベル賞受賞について書いていた。
安倍元首相暗殺に触れた手紙
https://www.tumblr.com/kt-grotesque/697133733185290240/手紙20220731
しまったthe tokyo toilet 藤本壮介、西参道公衆トイレ近くをかすめて見に寄るの忘れた
バトラーの分かれ道ヒイヒイ読んでも(まじむりなので漫画で読むハンナ・アーレント『ハンナ・アーレント、三つの逃亡』で一回休憩。いま第7章プリーモ・レーヴィで立ち往生)、フランコ・フォルティーニの朗読『シナイの犬』「イスラエル国家批判は反ユダヤではない」ユダヤ人作家の個人史から血が流れる映画を見ても(シネトラクトの激しさってこれかーとは思い至る)、正直ドイツのコンテキストがよく分からないからと去年流し読みしていたドクメンタ15の記事を読み直し、サブバーシブ・フィルムのサイト『Tokyo Reels』
https://www.tokyoreels.com/subversive-film
が3か国語表記なので読んでも、反ユダヤ主義問題の形での噴出を理解することはできないだろうし、進行中のできごとの悲惨に圧倒されるし、
の、状態。
他の場所に行く気があまりありません