新しいものを表示

「キッチュで殺せ──ナチス・映画・小市民」
shinwasha.com/144-6.html
積んでた奴。『関心領域』の公開で名前を良く見かけるルドルフ・ヘスを、ビーダーマイヤー(小市民)であるからこそである。と切って捨てる速さとコンパクトな記述に関心したまま本を腹に乗せてぐうぐう寝ていた。

デザイン史・美術史のかんたんな読み物だけでは、世紀末の様式を生んだ運動の土台は読み物の記述の範囲外なので他所に出かけないとユーゲント・シュティールとゲオルゲ・サークルの関連などには出会えないのだった。なんか色々遠いのね向こうに行けるのかしら?

作品によっては印刷された漫画の紙の厚みしかない程の物理的な奥行きの無さとイメージの重なり+音楽の奥行きが同時に展開する所と、画面を縦横に通過する正円のモチーフ(作家の手のひらにも円のタトゥーがあったような…)のサイズが厳格にコントロールされている所がたまりません

スレッドを表示

起き上がれず昼になってたわ…。ということで?メロドラマのエッセンスとコラージュと画面に現れて消えてゆく身近でささいな物の通常は隠された質感と音響が非常に官能的なlewis klahrのアニメーション映画を見てここにも貼ります。
youtube.com/watch?si=v1yFCLoo8

は、金仁淑(キム・インスク)は写真美術館のコミッション・プロジェクトを見ていた。

最近見た韓国の写真・映像の複合型作品の展示3つほどは、韓国の都市を背景に人間を画面の真ん中に据えてジェントリフィケーション、労働、障害の取り組みが共通していた

最終講義はとても格好が良かった。磯崎新の巨塊みたいなデミウルゴスの読解とあえて前面に出された個人的な喪失の感情が、バスマ・アルシャリフ『ウロボロス』で円環する時間の中でガザの瓦礫が未来の廃墟として映されるのを観客としてどうすればいいのか助けになるのでは。など

スレッドを表示

構内では「犬の糞をトイレに流さず持ち帰る事」怒りの張り紙が良かったです

スレッドを表示

何年経っても東大駒場キャンパスに正門から入るという発想がなかった。坂下門は駒場東大前駅ホームで私に向かって鎌を振り上げるカマキリをハンカチで包んで走って投げ込む所です

日本橋のパークレットの新店舗うれしいかな~しかし、場所が場所(外苑再開発エリア)なのでプレスリリース等を探して読むと“東京都初のPark-PFI事業「都立明治公園」 ”とあり、続いて「公募設置管理制度(Park-PFI)について」資料を眺めれば赤字の“公的資金の縮小”と書いてありました。ぐにゃぐにゃ

『ファースト・カウ』の、動物とは採取で話はついているが、他人の所有財を奪って富に替える優しいクッキーと野心家ルーの二人の夢にセットされた原罪は、私がいま齧っているビーガンベーカリーのドーナツではチャラになるんだろうか、いやならないな。と仕事中の“自主判断のコーヒー休憩”のシナモン味のカロリー摂取です

何も持てない人たち、貧者の唯一の獲得物のアイデンティティ
という強いアイデンティティ批判(例に挙げられる画像はプライド・パレードの連帯)を含む作品を見て聴いて、やー先行した人を見てて薄々予期していても名乗らざる得ない局面があったつもりでして…失敗だったかな?とはいつも考えてますよ。とか何とかぶつぶつと。さて家に帰らなくては

書簡で使われている「modern blood libel」でググってちょうやば

スレッドを表示

昨日で終わったストローブ=ユイレの軌跡1962-2020、最後は『アーノルト・シェーンベルクの《映画の一場面のための伴奏音楽》入門』と『モーゼとアロン』の2本でヨーロッパとアラブの民族問題もりもりだったでしょ。

ところでこの2本、音楽の「調」がぜんぜんわからないピアノの先生に怒られて怖かった人が見ました。どうでしょう

『関心領域 The Zone of Interest』目立ってポスト・ホロコーストの映画かなと捉えて、初報の段階でジャンルへの警戒感と期待が混ざって題材のセンセーショナルと製作A24の今感を人と共有する気がなかったのですけど。監督のオスカースピーチへ『サウルの息子』ネメシュ・ラースローの短いコメント、業界人の公開書簡で露わになっている「ユダヤ人の脆弱性への危機感」には、ランズマンのパレスチナへの姿勢を知っててもなお、いつまでも慣れないな

横浜トリエンナーレ、ジェレミー・デラー《オーグリーヴの戦い》(2001)展示あるじゃないですか~

嘴と爪のケアに爬虫類専門病院を予約し病院から出てあまりに天気が良く、我々(人間と袋の中の亀)は食べ歩きを決行した。当然我々と言うのは誤魔化しで亀は同意していない。しかし亀は置かれた状況に耐え適応し回復する動物なので、人で賑わう北の丸公園で現地調達の菜の花を食べ、四谷の土手でたんぽぽを食べ、松葉の散らばる地面に穴を掘って寝始めたので亀を掘り返し袋に詰め戻し電車に乗って帰宅した

夜、信号待ちの間にうぐいすが盛んに鳴いて幾人か顔を巡らせて音の出どころを探して居ましたが、その中のわたしも。音は人間の頭の高さで一定に、また低速で移動していることからホーホケキョと鳴くのは自転車をゆっくり漕ぐ人間のおじさんです

国立西洋美術館では、小企画展「真理はよみがえるだろうか:ゴヤ〈戦争の惨禍〉全場面」
会期:2024年2月27日(火)〜5月26日(日)、開催チュー。。

人体の破壊へのあいまいな言及 

西洋美術館の内覧会の抗議アクションに対する意見のうち、①ダイインのようなアクションはかえって死のリアリティから遠ざかってしまう。②(これは沢山ある)全てがアートの中に回収され消費されるゆえに行為の価値は下がる。少し前に提起されていた、③ガザから発信される暴力が行使された人体の凄惨な画像の拡散の是非。①②③を合わせて10年ほど前の「なぜ今日では破壊された人体の画像を見ることは重要なのですか?」テキストを機械翻訳で楽してぼんやり読む過去へのずり下がりを起こしています。

何年かぶりにテキストと共に実践された作品をそろそろとのぞき見て、当然めちゃくちゃ怯むのでうわっとかぐわっとかなりつつ、この作品化された一連の凄惨な画像は、フェティッシュでもなくエログロなどのサブカルチャーの装いもなくまたそこに写っているものの聖性もないのでとても「見やすい」です…

中間のパートで朗読される、アンドレ・マルローの『アルテンブルクのくるみの木』、“島々の住民は性交と生殖を結びつけない(…)子どもの保護者は母親の兄弟が指定され父は居ない(…)宣教師はお手上げだ(…)父性のない社会の性道徳を想像することができるか”(←とってもうろ覚え)の一節に「くたばれ父なる神」と気持ちが盛り上がる

スレッドを表示
古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。