松本薬夏 さんがブースト

Bluesky🦋ブリッジアカウントはこちら
:bt:

松本薬夏 さんがブースト

"作者"とは異なる"登場人物"って、別にどちらに限定しなくとも『作品主体』という概念によって解決する話じゃありませんか……?となるなどしました

本当に:ありがたいはなし:…… :peperoncino_cry:
小説読んだり映画観たりするのと同じように、「俳句を自ら詠んだりはしないけれど『読む』のはおもろいな!」って思ってくださる方が増えればそれが一番嬉しいし幸せです
生涯かけてそういった活動を続けていきたい

松本薬夏 さんがブースト

今回に限らず、yaccaさんの投稿の数々により、「あ、詠まなくても、詠めなくても、俳句を『読む』を楽しんでいいんだ」と思うようになった。いままで、「詠めないから楽しめない」って思い込んでいることにすら、気づいていなかった

松本薬夏 さんがブースト

わたしは俳句に限らず、韻文全般に関して「わからなさ」があって、それは「個別の作品を読んだときのわからなさ」とも違う、ジャンル全体に関するもので、「何がわからないかわからない」段階のもの。わかりたい、近づきたい、楽しみたいけれど、溝がある感じ。そんななかで、RNしたyaccaさんの「きのうの花筵」の独白に関するノートは、「俳句ってそうなのか!」と思えたもの。実際に作品も読んでいるので、「どうして独白があると入りやすいのか」も納得感があり……

そして実際に、ご自身で俳句をつくったことは一度もない、句集を読んだこともない、だけどFediverse上の告知や偶にUPしている俳句を見て興味を持ってくださった方々が『俳句界』を購入してくださったり図書館で読んでくださったりしました。本当に感謝しかないです。
また、こうして「自分ではつくらんけど俳句読むのはおもろい!」と感じてくれる方はいるのだとはっきり認識出来たので、「俳句の詠み手=読み手」問題はすこしずつ解消していけるんやな、俳人の努力と工夫次第なんやな、と実感した次第です。

スレッドを表示

現在『俳句界』にて連載中の「きのうの花筵」、主人公の独白+俳句という形式を取っていますが、あれ"俳句に慣れているひと"からすれば独白部分って別になくても良いのでは?ひたすら前書きしているのと変わらないのでは?ってなるはずなんですよね。私自身そう思う。
でもあの作品は元々"俳壇の外側のひとびと"あるいは"自分で俳句をつくったりしない、普段から俳句に触れる機会などない方々"に向けて「俳句もおもろいで!ちょっと読んでいってみて!」の気持ちで執筆しはじめたものなのでああいった形式になっています。主人公の独白を通してまず物語(≒景)を置いて、その物語は俳句だとこんな表現することが出来るんか、詳しいことは知らんけど俳句もおもろいやん!って思ってもらえれば上出来。の気持ち。

明日11月25日発売の『俳句界 12月号』(文學の森)に連載作品「きのうの花筵」第2話が掲載されています
"俳句+主人公の独白"という形式が今後どのように展開されていくのか、のんびり見守っていただけると幸いです
:yorosiku_onegaisimasu02:

明日16日は主催句会の定例飲み会なんですが、大学時代からの友人(現教員兼近代史研究者)が参加してくれるとのことでとても楽しみだ
俳句の座へ「俯瞰的に、あくまで外側から捉えられる存在」が混ざってくれるのって重要だと思う

原稿締切まで残り3日、現在37.5度の発熱
現場からは以上です—— :blobcatangel3:

中西ひろ美さんの

「雲中の月のごとくに猫抱かれ」
(『俳句界 11月号』文學の森/2024年、新作巻頭3句より)

季感が弱いし切れもないけれど質感がめちゃくちゃ良いな……愛おしい……やはり句は論理ではない……としみじみ感じた真夜

古いものを表示
Fedibird

様々な目的に使える、日本の汎用マストドンサーバーです。安定した利用環境と、多数の独自機能を提供しています。