現在『俳句界』にて連載中の「きのうの花筵」、主人公の独白+俳句という形式を取っていますが、あれ"俳句に慣れているひと"からすれば独白部分って別になくても良いのでは?ひたすら前書きしているのと変わらないのでは?ってなるはずなんですよね。私自身そう思う。
でもあの作品は元々"俳壇の外側のひとびと"あるいは"自分で俳句をつくったりしない、普段から俳句に触れる機会などない方々"に向けて「俳句もおもろいで!ちょっと読んでいってみて!」の気持ちで執筆しはじめたものなのでああいった形式になっています。主人公の独白を通してまず物語(≒景)を置いて、その物語は俳句だとこんな表現することが出来るんか、詳しいことは知らんけど俳句もおもろいやん!って思ってもらえれば上出来。の気持ち。
そして実際に、ご自身で俳句をつくったことは一度もない、句集を読んだこともない、だけどFediverse上の告知や偶にUPしている俳句を見て興味を持ってくださった方々が『俳句界』を購入してくださったり図書館で読んでくださったりしました。本当に感謝しかないです。
また、こうして「自分ではつくらんけど俳句読むのはおもろい!」と感じてくれる方はいるのだとはっきり認識出来たので、「俳句の詠み手=読み手」問題はすこしずつ解消していけるんやな、俳人の努力と工夫次第なんやな、と実感した次第です。