『2040年 半導体の未来』(小柴満信)

読むに値しない。ラピダスの中の人が何に賭けているかをアツく語るが、まだ始まっていないプロジェクトなのですべてフワフワと雲を掴むような話。

『半導体逆転戦略 日本復活に必要な経営を問う』(長内厚)

読みましたといった感。最先端技術での多品種展開を目指すラピダスへの期待が過大に膨らんでいると冷静に指摘し、むしろ枯れた技術のJASMが生み出すスケールメリットにこそ日本の活路があると説く。ラピダスの多品種展開、つまりスケールメリットを追わないビジネススキームは日本の製造業の必敗パターンであると解説する。二社の対比が面白かったが、半導体の歴史については類書のおかげで頭に入っており目新しい気付きはなかった。日米貿易摩擦を研究した韓国が残存者利益で勝てたところはなるほどね感はあった。

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240702 平田オリザの『演劇入門』をエンタメ小説に適用するには - 箱庭療法記 yobitz.hatenablog.com/entry/20

青春ブタ野郎シリーズは、今年の8月、10月の続刊での完結が予告されており、他方で続刊に相当するパートもアニメ化されることも発表されており、先に読んでしまうか、アニメまで待つか迷っていたのですが、読む方の選択しました。続刊に相当するパートは評判が悪く、正直、読んで失望してしまうのでは、裏切られた気分になってしまうのではと恐れている自分がいました。でも、そういう恐れ、ある意味ではワクワクなのかもしれないけれど、そういうの込みでフルコミットすることを決めました。

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『青春ブタ野郎はシスコンアイドルの夢を見ない』(鴨志田一)

イベントの繋げ方(Yes, but...式)が巧み。イベントのためのイベント感、言い換えると「ダンドリ感」が薄い。それぞれのイベントが読者の感情を動かすことに寄与しているからだろう。

シーンの作り方には、例えば「葛藤」や「リアクション」から考えるという手法があるけれど、それらと平行してセミパブリックのバランスの手法を走らせるイメージですね。

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エンタメ小説では、大ざっぱに言って、空間や登場人物を使い捨てることができる。ここが一幕ものとの最大の違いだ。一幕ものでは、プライベートーセミパブリックーパブリックを、一つしか用意できず、そのために全体を通して空間や登場人物に関してセミパブリックを貫く必要がある。
対して、エンタメ小説では、一貫してセミパブリックである必要はない。むしろ全てがセミパブリックだったら読者は飽きるだろう。これをさらに広げて考えると、一つのシーンの空間や登場人物のそれぞれに三つの概念を当てはめ、複数のシーンでプライベートーセミパブリックーパブリックがバランスするようにできることに、複数のシーンから成る小説の醍醐味があるように思われる。
プライベートーパブリックーセミパブリックのバランスの視点から小説の全体を俯瞰してみようと思った。

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『演劇入門』(平田オリザ)

再読に次ぐ再読。今回はやや俯瞰して読んでみた。
本書はあくまで「演劇」その中でも「一幕もの」のための一冊。つまり、一つの場所や登場人物で繰り広げられる物語のための手引きだ。それゆえに当たり前なのだが、エンタメ小説やマンガといった複数のシーンから成る物語の作り方を教えるものではない。それを断った上で、やはりエンタメ小説にも適用できるノウハウが詰まっている。
一幕ものは一つの空間や登場人物しか使えないために、観客への情報の出し方が著しく限られる。本書の読みどころは、その情報の出し方のノウハウであり、最重要なのは「セミパブリック」という概念だ。プライベート(内部)とパブリック(外部)の中間に位置する。例えば、葬儀所のような。個人と親しかった親族(内部)ー仕事の関係者(中間)ー出入り業者(外部)が出入りする空間だ。三者の間の情報の濃度の違いこそが、情報を観客に与えるためのきっかけとなる。

amazon.co.jp/演劇入門-講談社現代新書-平田オリ

文舵合評会の二回目に参加させて頂きながら修了できなかった身なのですが、途中まででさえ、課題をやる度に普段使わない筋肉を使うハメになって自分の可動域が広がるのを体感しました。
長い小説を一貫した声(ヴォイス)で書こうとしているいま、改めて読み直すべき本だと思いました(というか、何度でも読み直すべき本であろう)(いったん頭から尻まで書けたら読み直してみよう)。
filmart.co.jp/pickup/32457/

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