『熟達論』(為末大)

今年読んだ本の中で暫定ベスト!
オリンピアンである著者・為末大が自らの競技者としての経験とその道を極めた人物達との交流を基に、なにかを「熟達」するとはどのようなメカニズムであり、そこではどのような心の動きがあるのかを緻密に言語化する。
熟達への道のりは、遊・型・観・心・空の五段階に分類できると説く。それぞれの段階に共通するのは、人間の柔軟性への信頼だ。人間の心が柔軟である故に、遊んで様々な可能性を模索することができる。また、その可能性を型にはめることによって、より良い方向へと導くことができる。そうして導かれた型を観察することで、中心と周辺とを分別することができる。立ち返るべき中心が定まると、中心から外れてみる冒険ができる。やがて、それまでの四段階を意識していた自らを手放し、空=無意識を得られる。無意識であるがままの自分・あるがままの環境を受け入れられると、遊んで可能性を模索できる領域がさらに広がる……、そうして五段階のサイクルが回っていく。
オリンピアンの説く、身体と精神とのバランスのストーリーは説得力に満ちており、読み応え十分。充実した人生の一部を垣間見させてもらったような気分で、とても満足しました。
amazon.co.jp/熟達論:人はいつまでも学び、成長で

例によって〈自分の小説〉の登場人物に深みを出すための資料本としての読書。この五段階のどこに位置付けられるかを考えるだけでも、彼らの価値観を想像できるようになる気がしました。
登場人物には上級者と中級者がいるのですが、上級者であっても高校生なら「空」には到達していなかろうが「心」を掴んだために後輩の指導が自在にできたり、あるいは中級者でも「型」と「観」との間でグラデーションがあったり、それとも自らのことを中級者だと感じているけれど「遊」の砂浜でちゃぷちゃぷしてるだけかもしれない……。
本書の細かいエピソードを拾うと「「もし」の力」が特に創作の役に立ちそうだと感じました。ある(非言語的な)技能を言語で他者に伝える際に「もし」を使って、別のシチュエーションに置き換えて(もしもグラウンドが熱い砂浜だったら)みる。そうすると、思考の制限が取り払われて別の領域にジャンプできる。
価値観が革命的に新しいものに変化するとそれまでの自分ではいられなくなる。人間のそういう可能性を信じさせてくれる一冊でした。

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上達・熟達に関しては2023年に読んだ『習得への情熱』(ジョッシュ・ウェイツキン)も説得力に富んでいましたが、『熟達論』は『習得への情熱』よりも抽象化の度合いが高くて好みでした。

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