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学部時代にソフト資本(ゴジラ映画とか)も含めた競争力分析の講義を受け、その後 MBA に行って地政学をやったが、どうもぎりぎりのところで我が国はしくじっているんだよな。

おっさんムーヴですが、 Soft Ballet の Parade はよかったね。この曲、海外進出可能であったが、あれこれ不幸があった。

youtube.com/watch?v=d-1SDHNYxs

自然災害に異常に強い国なので、易姓革命は起きない。自由と権利という考えも根付かない。そうすると戦争しかなくなる。

根本的には日本人全員が激怒するような、特殊な状況を作って、台閣をぶち壊すみたいな話に持ち込まないといけないんだが、歴史的に、外圧がいるんだよな。

最近はどうすればこの構造を再破壊できるのか考えているのだが、まだよくわからない。

結局、明治維新は失敗した。民衆革命ではなかったので、官制国家を成立させたにすぎず、自力ではそこから脱却できず、敗戦があっても本質的な構造を破壊できていない。そろそろもう一発革命をやらないといけない。

そろそろ自力で現行体制を転覆しないといけならいのかもしれん。

仕事に無限に愛される、というのも困ったものだ。よくわからんな。

明日は休みということにしたけど。面倒だなあ。

なんか今週はめちゃくちゃだったな。

あれだけ腐儒を排撃したにもかかわらず、福澤諭吉も結局『瘠我慢の説』で陽明学従の性質を明らかにしているので、これはむつかしい。

「義賊」というのも相当むつかしい概念で、石川五右衛門というよりは大塩平八郎あたりを考えなければならず、やや特殊だ。やはり陽明学を辿らなければいけなくなる。

「義賊」という形態があって、この倫理を激しく突いてきた、ということになるんだろうか。

そんなことを言ったらルパン一味の行動原理もよくわからないんだが。よくよく考えてみると本当に形式だけの作品ということになるんだろうな。

これ、でも、この作品の最大の弱点だと思うのだけれど、伯爵がなんで指輪というか、想定されうる未知の財産を取得したかったのか相当よくわからないんだよな。

最近やや疲れているので久しぶりに『カリオストロの城』など視聴したが、本当に信じられないほど過去の視聴者としての私は馬鹿だな。本当にひどいと思ったのは、伯爵がクラリスの頭を踏みつけて湖に叩き落とすが、これをどう捉えるか、というところで全然考え方が違うな。

しかしカトリック教会は、それなりに真面目に考え込んでいる人を放っておくというか、礼拝堂から追い出さない程度の識別能力はあるということは実地に理解したので、それはよかった。

欧州の完全な旧教国に住んでいたときもたびたび教会に訪れたが、これはむつかしいな。結局、形式的には宗教を識別できない。教会の鐘の音、ミサ、祈り、オルガンはいいんだけど、別にそれは仏教と変わらんし、思想の確度としては仏教の方が先行している。

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相当前だが、やや考え方について困っていたときに、田園調布だったかな、クリスマスに教会に行って、外国人がむちゃくちゃ多い地域なんで、まあ、あれこれ聖餐やら何やらやっていたが、最後までいろいろ考えながら教会の隅に座っていた。その日、もう昼も過ぎて、礼拝堂に誰もいなくなったが、司祭も誰も私に声をかけなかった。これは本当に偉いと思った。いま思うと私は完全に不審者なんだが、しかし、それなりに彼らが信仰するある種の存在との対話を試みていたので、それに容喙しない態度を取ったのは偉いと思った。戦国末期の宣教師に近いのかもしれない。

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