相当前だが、やや考え方について困っていたときに、田園調布だったかな、クリスマスに教会に行って、外国人がむちゃくちゃ多い地域なんで、まあ、あれこれ聖餐やら何やらやっていたが、最後までいろいろ考えながら教会の隅に座っていた。その日、もう昼も過ぎて、礼拝堂に誰もいなくなったが、司祭も誰も私に声をかけなかった。これは本当に偉いと思った。いま思うと私は完全に不審者なんだが、しかし、それなりに彼らが信仰するある種の存在との対話を試みていたので、それに容喙しない態度を取ったのは偉いと思った。戦国末期の宣教師に近いのかもしれない。

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欧州の完全な旧教国に住んでいたときもたびたび教会に訪れたが、これはむつかしいな。結局、形式的には宗教を識別できない。教会の鐘の音、ミサ、祈り、オルガンはいいんだけど、別にそれは仏教と変わらんし、思想の確度としては仏教の方が先行している。

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