わたしはアートのアカデミックなところは知識がないんだが、オリエンタリズムで思い出したが、ボストン美術館のラジャポネーズの前で着物を着る企画が文化の簒奪だという抗議で中止になったことがあって、そのことを友人が「日本人は気にしないのに」って言うから「日本に住んでる日本人は気にしなくても、ボストン美術館があるアメリカで、差別を体験しながら生きている日系人にとっては、彼らの文化を楽しみながら日常的には差別する、という状況は受け入れにくいのではないか」と言って嫌な雰囲気になったことがあり。
いま思うに、モネやゴッホといった、日本の浮世絵に影響を受けた画家たちは、日本文化を愛しはしても、当時の彼らの価値観で、アジア人である日本人を差別しないでおれたのか、というのも結構疑問で。
これは、私は何も日本人に限った話ではないのではないかと思うのが。
コロナ禍で給付金の話が持ち上がった時だったが。
早く全員配れという左寄り反政権と違って、右寄り政権支持の多くに「日本人はいいが、外国人は駄目だ!あれは日本人の金だ!」という意見があった。
彼ら/彼女らの普段の発言を見聞きしている人ならすぐに想像のつく話だ。
あの人たちは、外国籍の人が納税しながら日本にいると理解していないし、納税を抜きにしてもまずパンデミックをいかに抑えるかという時に国籍で扱いを分ける愚かさをわかっていない。
当然、どれだけ日々納税してるか!どれほど日本で働いてきたか!という外国籍の著名人が差別への反対でSNSで声を上げた中に、普段、ネトウヨと言われる層からちやほやされてたケント・ギルバートさんがいた。
なんというか、私の受けた印象として「日本を愛する仲間なのにどうして除外されるのか」と戸惑っているように見受けられた。自分も一括りに「外国人」扱いされないと思ってたようなそんな印象だった。右傾化した日本人の言動を見てきたらそんなわけがないのに。
一方でTVでは給付金の締め切りギリギリに来た若いアジア人女性になぜ受け取りがギリギリだったのかと問いかけたら「私、中国人だから、もらえないんだと思ってた」と流暢な日本語で答えていた。
BTs
大切な話をBTしておいて主旨からズレるかもしれないけれど。
一回外に出てみないと、一回経験してみないとわからないというのはあるのかなぁと思う時はある。自分も含めて。
よく実体験しなくとも(痛みでも相手の置かれた環境でも)想像は出来るじゃないかというのだけれど、こうした差別などに関しては、当事者になって初めて痛切に感じる部分が大きいのではなかろうか。
広島で生まれ育ったので、この時期は平和教育が必ずあった。
中学に入ってから、「君たちは被爆地としての戦争について学んできたと思うけど、加害の歴史も知らないといけない」と言って、南京虐殺やフィリピン占領などのドキュメンタリーも見るようになった。今思えばあれは私立だからできたことなのかも。
加害の歴史を知らずに平和を考えることはできない。戦争について、平和について、今日という日だけ上っ面黙祷するのでなく、積極的に考えないといけない。
「過ちは繰り返しませぬから」この言葉はそのために心に刻むべきと思う。
ほんまにひどいな…
他の事もそうなんやけど、教えないことで歴史を改竄しようとしている。
小6が使う社会の教科書、沖縄戦「集団自決」の記述に「軍関与」「軍命」言及なし 24年度使用の教科書検定https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1685009.html
「文部科学省は28日、2024年度から小学生、高校生が使用する教科書の検定結果を公表した。小学6年生が使用する社会の教科書では、検定に合格した3社3冊で取り上げられた「沖縄戦」の記述の中で、沖縄戦の最中に発生した「集団自決(強制集団死)」について旧日本軍から住民への命令(軍命)などの関与があったことを示す説明記述がなかった。いずれの出版社も、現行教科書での「集団自決」の関連での「軍命」「軍関与」に言及しておらず、従来方針を踏襲した形だ。」
これは少なくとも強姦未遂、本来ならば殺人未遂として扱うべきだろう
友人が持っていた『まるごと日本の生き物』が素晴らしいハンディ図鑑だったので買おうと思ったら、なんとまさかの在庫なし。
確かに、いま2,000円では刷れないけどね。
若いときこんな感じだからじゃないかな
ホームポジションから手を離すのが嫌なんだよなぁ
ただ思念体として存在したい