明日健康診断だし早めに帰っていい?(ダメです)
例年、5月よりも6月の方が消耗して不調になりやすい。『躁鬱大学』読んで崩れた時の心構えを記憶修習しとく。
タスク
タスク振り返り
✅クリーニングしたスーツとシャツを受け取る →できた
✅部屋のストック関係の棚卸
→できた、足りない分は買い足した
✅来週の激務に備えた食料つくり
→できた、とりあえず月火水の食料計画は完遂した
✅身体の修復(セントー)
→タカラ湯きもちよかったー。
✅元同僚結婚式用 靴とカバンと御祝儀袋の調達(最悪来週でも大丈夫)
→カバンと御祝儀袋は確保 靴は買い足さなくてもいいか検討
✅ここから7月にかけてのこいびととのスケジュール踏まえ物件探し本格化
→1エリア分物件調査した
✅アウトプット(盛岡旅行、富山旅行のふりかえり)
→富山旅行1日分記事化した
✅できたらランニング(セントーとセットにしようやっぱし)
→できなかったけどふた駅分歩いた
ダメなりに生活を整えることをしたのでよし
きょうは本当に遠出しなくて正解だった、セントーで回復し生活と執筆をやった
動物園趣味(ゲームのルールは変わっているのだ)
あと、これは長いこと言語化してこなかったけど。
僕は動物園水族館と向き合うための理論武装を6年かけて精緻化してきたけど、突き詰めるとそれは方弁で、「日本全国の動物園・水族館を趣味で研究しています」という体で遠くに行くことこそが真に心を自由にしてくれていたと思うんだよな。
新卒の頃の寮が本当にキツい環境で休日留まって過ごしたくなかったからこそ、最初の1年目は当時付き合っていた女の子に依存して「この世の果てのような場所」を巡っていたのだし。
その女の子との関係性が破綻し始めた2年からは、動物園、それも1日過ごすことを前提にしている多摩動物公園やズーラシアを居場所にした訳で。
ある意味では精神的なその日暮らし。よく続けたよね。5年以上も。理論武装のおかげで逃走という本質を自分自身でも忘れかけていたよね。惰性にすらなりかけているよね。
いま、そうじゃないでしょ。
僕は僕の居宅での暮らしも楽しんでいるし、何より恋人と過ごす、「今、ここ」だけじゃないこれからを見すえた時間の方が大切なのでしょ。
ゲームのルールは変わっているんだよ。
味噌汁飲んだら精神が修復された
んーでも明日の休みは貴重だからいちにちコースのズーラシアで1人で過ごすのはやめとこう
まだ未解決の私的領域のタスクが多い
縮減