館内は撮影禁止だったのでアレですが
(画像はフライヤー)、糊を布の上にぶちまけてスキージで伸ばしていく、その軌跡や力技をそのまま染色に反映させる加賀城氏、ろうけつ染によって複数の色による渋いグラデーションを繊細に染めていく舘氏、キャラクターが溶けたり崩れたりしていく様を指でワイルドに描いて染めていく波多野氏、シルクスクリーンと鉄錆染という両極端な手法を用いる山中氏、染色した布に端切れで作ったリボンを編みこんでモザイク状の画面を作り出す皆川氏。個人的には山中氏と皆川氏の作品には初めて接したのですが、今回は過去二回と較べても出展作家のインパクトの強さが際立っていたように思います。
と同時に、これは確かに「染色」という方法/ディシプリンでなければ成立しえない表現なのかもしれないと強く観者に思わせる作品揃いともなっていたと言わなければならないでしょう。支持体自体を色で染めることで、同じ平面であっても染色は絵画とその理念的なありようという位相において若干かつ決定的に違うと考えられるのですが──例えば絵画においてしばしば決定的な概念として語られる〈絵画空間〉は、染色においては(以上のような特性ゆえに)あまり強固には成立しないのではないか──、今回の五人の出展作家はそれぞれのやり方で〈絵画空間〉という、平面表現において割と自明視されがちな概念を積極的に問い直していた。見やすいところで言うと、それは加賀城氏においては布=支持体自体の伸縮可能性をテコに、平面上に力の軌跡をムリヤリ描き出していくことでなされていたし、舘氏においては複数の色が交わらない(つまり、空間性が成立しない)形でグラデーションが染められることでなされていた。あるいは薄い絹布(シルクスクリーン)に薄く風景写真などが染められることでcombine painting((C)ラウシェンバーグ)の潜在的射程を染色の文脈において再演&換骨奪胎してみせた山中氏にも、〈絵画空間〉に対する批評は見出されるだろう。
いずれにしましても、染色独自の可能性について、きちんと実践している若手作家もいることが説得力を持って提示されていたことは間違いないでしょう。11.17まで。
錦小路室町にある染・清流館で開催中の「行為と現象III」展。
日本でも数少ない(というか、唯一の?)現代染色専門の美術館である染・清流館ですが、現代染色作家の個展や全国各地の染色/染織/テキスタイル専攻の美大生の新人展、隔年開催の大規模展「染・清流展」を開催するなど、旺盛な活動を展開している。そんな活動の一環として、今のところ三年に一回のペースで「行為と現象」展と題した展覧会も開催しておりまして、今回は2018年、2021年に続いて、3回目となります。
この「行為と現象」展、大阪芸大准教授の舘正明(1972〜)氏と金沢美術工芸大教授の加賀城健(1974〜)氏の仕事を軸にした上で、両氏と数人の出展作家による相対的に小規模な企画展として開催されています。今回は舘氏と加賀城氏のほか、波多野小桃、皆川百合、山中彩各氏が出展作家として選定されていました──それにしても、ここで波多野氏の作品に接することになるとは思わなかった。アトリエ三月やSUNABA GALLERY(いずれも大阪市北区)といった、いわゆるキャラクターアートをなかば専門に扱うギャラリーでよく見かける方なだけに、そこからいきなり染・清流館にというのは、関西のアート事情に通じている者的にはなかなかな超展開に見えるわけでして。
──まぁ昨日の発表の本番は、来年の大阪・関西万博にカラヴァッジョ《キリストの埋葬》を出展することなのですが
https://x.com/catholictv/status/1850904912026079742?s=46&t=HVpKYwTPKrcFmeLhJHBABA
バチカンがマスコット発表 「聖年」で、万博にも活用 | 2024/10/29 - 共同通信 https://nordot.app/1223749355877826796
昨日発表されるや速攻で全世界的ネットミームと化したルーチェきゅんですが、見れば見るほどキャラクターデザインとしてよく研究されてるなぁと感心してしまうわけで、やはり端倪すべからざる存在ではありますゎな<ヴァティカン #きゅんとか言うな
寺田倉庫、京都市立芸術大学キャンパス内に関西初のレンタルアトリエをオープン https://www.fashionsnap.com/article/2024-10-27/terrada-art-studio-kyoto/
あさって営業開始。そういう施設ができるらしいとは以前仄聞したことがありますが、(最も京都駅寄りの)A号棟内にできるんですね。倉庫だけに、塩小路通を挟んだ反対側に広がる更地に新築するんかと思ってました
(画像はそんな更地で今春開催されてた高橋悟「ミチガイイイチガイキキチガイ 〜still moving: 崇仁地区でゴドーを待ちながら〜」展のひとコマ)
台風情報 https://tenki.jp/bousai/typhoon/
11月に…… 台風……? #解せぬ
近畿ブロック 比例代表 衆議院選挙2024 政党別状況 -衆院選- NHK 【NHK】衆議院選挙2024 https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/shugiin/00/hsm08.html
総選挙、当方の居所は日本維新の会の現職が再選しましたが、それはともかく日本最大のクソデカ選挙区な比例近畿ブロックの結果が相変わらず混沌としてて 他ブロックは大政党優位な感じに収束しているのに、ここだけカオスなわけで、そりゃかつて降霊芸人もとい某新興宗教の教祖もここから出馬しただけのことは
当方の居所でも、現在参院議員になっている辻元某が立憲民主党の近畿ブロック永世1位としてしゃしゃり出てくるんじゃないかと噂されてましたが、結局出てきませんでしたね。よっぽど前回の総選挙での負けがこたえたらしい?
「sign」という展覧会タイトル通り、
ギャラリー内には普段一冊しか置かれない芳名帳が四冊置かれる(ギャラリーの人いわくどれに書いても複数書いてもいいとのことでした)など、芳名帳という日本独特の(?)アートカルチャーを斜めから俎上に乗せることに全振りしていたわけですが、中でも最高だったのは、来場者が逆に山本氏の名前を署名できるコーナーがあったこと。当方が訪れたときには会期末だったので、様々な人が思い思いに「山本雄教」と書いていたのですが、しかし、ここで行なわれている「署名」という行為に立ち止まって考えたとき、この観客参加型の作品は、単なるおもしろコーナーにとどまらないものがあると言わなければならない。そもそも自分が他人の名前をなんの必要性もない状態で署名すること自体かなり倒錯的な事態なわけでして、当方もどこか違和感を覚えながら「山本雄教」と書いたのでした(画像参照)。署名について哲学的な考察を繰り広げたジャック・デリダ(1930〜2004)も、さすがにかような事態までは想定してなかったでしょうょw
──寄り道はさておき、ここで山本氏と観者が共犯的に行なったのは、固有名を固有なまま交換可能なものとすることだったわけですが、ところでこれは山本氏がその初期から貨幣と芸術との関係を痙攣的に視野に入れてきたこととあわせて考えてみると、なかなか示唆的であるように思われます。氏は昨年京都市京セラ美術館で行なった個展「仮想の交換」展で、同美術館がこれまで購入してきた作品を列挙したり、例の一円玉フロッタージュで竹内栖鳳とおぼしき画家の制作風景を浮かび上がらせていましたが、唯一性・固有性のもとで語られる美術とその貨幣を通じた交換可能性とがここで大規模に行なわれることで、同展が固有名の経済学というべき位相を俎上に載せていたとすると、今回の「sign」展は固有名の政治学に足を踏み入れている。どちらも美術をめぐる制度の両輪をなしていることは自明ですから、山本氏の実践はかかる制度性(無論、「日本画」もそこに含まれる)の裏側を明るみに出そうとしていると言えるでしょう。それをおもしろコーナーっぽくパッケージングしているところに、山本氏の美質が存在する。そんなことを考えさせられたのでした。明日まで
谷町六丁目にある+1 artにて開催中の山本雄教「sign」展。
大量の一円玉をフロッタージュして肖像画や紙幣のデザインを描く作品で知られ、昨年には京都市京セラ美術館内の小スペースなThe Triangleで個展も開催した日本画家の山本雄教(1988〜)氏の、同所ではひさしぶりとなる個展。
上述したような日本画を主に描いている山本氏ですが、今回は趣向が変わりまして、白い紙に鉄筆か何かでこれまでの氏の個展に来た人々が芳名帳に残した署名やメッセージを模写するという作品が出展されています。当方も展覧会開催前に使用許可を求められてOKしたもの。で実際にギャラリーで見てみると、白地に掻く(←石川九楊的表記)ことで他人の筆跡を真似た紙片が今回のメインだった──実際、ギャラリー内の壁面にそうして模写された百数人分の芳名が並んでいたのでした──わけで、当方もリアル知人/芳名帳でしか知らない人問わず、見知った名前を見つけて楽しんだし、先述した経緯で模写された当方の名前を見つけて面映くなったり
ところで野中女史は
今回の個展の少し前に引っ越し、古民家に住むようになったそうです。で、新居の土間に差し込んでくる光を朝昼晩それぞれ絵画として描き出していたのですが、ひさしぶりになかなかな大きさの彼女の作品に接する形となり、見ごたえが大いにありました。2022年に(なかなかな規模の京町家を改装したスペースの)The Terminal Kyotoで個展を開催した際、先述したような絵画作品に町家の中で接する形となり、日本家屋の陰翳と描かれた茫洋な光の様相とがマッチしていて面白かったものですが、そんな場で個展を行なったという経験が、もしかしたら引越し→土間に差し込む光をモティーフとした新展開につながったのかもしれない──というのはいささか牽強付会ではあるのですが、しかし光の移ろいが陰翳の移ろいでもあることを、古民家=日本家屋の陰翳に即して描き出そうという志向(陰翳礼讃?)が、これまでの画業において一定の達成を見せたまぶさびぶりと合わさる/対決することで、今後いかにさらなる超展開を見せることになるのか、ますます目が離せない。明日まで
Oギャラリーeyesで開催中の野中梓展。
関西を中心に活動し、2021年には群馬青年ビエンナーレに入選するなど着実に地歩を築いている野中梓(1991〜)女史ですが、近年は毎年だいたいこの時期に同所で個展を開催しています。
今回は大画面のと極小の画面のが三点ずつ、計六点の絵画が出展されていました。ここ数年、野中女史の絵画は、自宅内にある冷蔵庫の表面や何も映っていないテレビ画面といった、つるりとした表面に当たった自然光ないし照明の光が主題となっています。そこでは、光と、光に当てられた部分の時間的な経過をも含む表層的な揺らぎが描き出されることになるわけですが、その結果として画面はきわめて茫洋とした様相を見せることになり、そこに絵を描いた彼女本人や観者の知覚・感覚の移ろい、さらには筆跡を可能な限り消し去ることで一見すると後景に退いているように見える絵具の物質性が渾然として現われてくるのでした。詩人であり、ベルクソンやドゥルーズの紹介者・研究者としても知られる(そして村上隆(1962〜)氏の博士号取得の立役者のひとりでもある)篠原資明(1950〜)氏は、「眩しい」と「侘び寂び」とを混ぜた「まぶさび」なる概念によって、特に1990年代以降の現在における美術のひとつの傾向性を明るみに出していますが、野中女史の絵画はつるりとした表面をモティーフとしているという点において「まぶさび」の現在を端的に示していると言えるでしょう。
好事家、インディペンデント鑑賞者。オプリもあるよ♪